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「デュシャンと利休」現代アートにおける美について

更新日:3月14日


この両者は共に、当時の美学、芸術分野において、既存の価値観にとらわれることなく、新たな価値観を創造した者として、共にその名が上げられる。そしてこの両者の中には、時代を超えて訴えかける普遍的な問題提起がある。それは「美とは何か?」という問いである。


それを追求した結果として、彼らは当時の社会が作り上げた既成概念を打破し、新たな価値観を生み出すというパラダイムシフトを行なったという意味において、非常に意義深い共通点がある。しかも利休に至っては、デュシャンのさらに400年も前に、侘び寂びの哲学を通してそれを実践していた。しかもそれは命をかけた戦いであった。


利休において、当時の成金主義や、茶器が人命よりも価値があるとする当時の上流社会の習慣や風土に対して、貧しい漁師や農民たちが使用していた日常品をレディ・メイドとして用いつつ、それを花生けにしたり、茶の道具に使ったり、それらを自身の哲学である侘び寂びの精神の表れとして、質素ではあるが美しいものに転用しながら用いつつ、時の権力者である秀吉の黄金の茶室に対して「侘び寂び」による茶道の道を貫いた。しかもそれは上流風土に帰するものでも、庶民風土に帰するものでもなく、そのどちらをも包括しつつ「茶の道の真の精神へと人々を回帰させるために」示した第三の道であり、それが利休の実践哲学であった。


それに対してデュシャンの功績は、美術というものの枠組みを、当時すでに閉塞化していた近代美術の枠組みから解放し、より自由で解放的な現代アートの道へと開いた点にある。


デュシャンは1917年、ニューヨークにおいて、この「泉」という作品を通して、それまでの伝統的な人の視覚に訴えかける視覚美のアートではなく、人の思考に訴えかける概念美のアートとして「コンセプチュアルアート」を提唱した。


デュシャンは、その新しいアートの表現のために、アーティスト自らが、自分の手で作品を作るという、それまでの美術の伝統を破り、レディメイド(既製品)という手法を用いた。


さらにデュシャンは、「美しさ」と対極にあるものとして、こともあろうに男性用便器を作品として展示した。それによって、それまでの近代美術が持っていた「美」や「美術」に対する概念を、完全に破壊することを試みたのである。


このようにデュシャンは、この作品を通して、近代美術に至るまでの美術の歴史の中で、作品は芸術家本人の手によって作られるべきだというオーダーメイドという既成概念と、作品は視覚美を追求したものであるべきだという美に対する既成概念を打ち壊し、それに代わる新たな美のカタチとして概念美のアート(コンセプチュアルアート)を提唱した。いわゆる現代アートの幕開けである。


時は20世紀初頭、産業革命後、科学技術の発達が最も盛んな時代、友人と訪れた航空展で、航空技術の目覚ましい発展と、その機能美あふれる姿を、展示されているプロペラ機の中に見たデュシャンは、既存の芸術の終焉の姿をそこに垣間見る。


科学技術が造り出す精密で精巧な機能美を持ったこのプロペラですら、大量生産されているものの一部品であるにもかかわらず、均一で非常に高いクオリティと美しさを有している。 つまりそれはオーダーメイドである固有の美とは対極の立場にありながらも、最先端の美を有していたのだ。


だからデュシャンはその科学技術という力の台頭とその現実を前に、美の世界には新たな道が必要であることを確信する。そしてデュシャンはプロペラと同じように工場で大量生産されている既製品で、均一の品質を持ったものを意図的に「選んで」提示することによって、既存の美術界が最も大事にしていた「固有の美」という概念に対して、問いを投げかける。


さらには視覚的な美の世界とは対極的なものの象徴として、デュシャンはこともあろうに男性用便器を展示会に持ってきた。それは近代美術を代表として、視覚の美しさを求めて歩んできたこれまでの美術の世界は、19世紀における写真機の登場によって、様々な実験を繰り返しながら、すでにある種のピークを迎えていた。だからこそ、これからのアートは、視覚的な美を追求するものではなくて、その代わりに概念美を追求したアートであるべきであるとして、それを出展する。


彼は時代の中で叫んでいたと思う。「美の世界は、このままでいいのか!」と。デュシャンは20世記初頭の時代背景をベースとして、この「泉」という作品を持って、当時の近代美術のあり方に対する「問いかけ」と「新たな道の提示」を行なったのである。


またデュシャンは、当時の美術界に対してだけではなく、同時に科学技術に対しても、そのプロペラの優れた機能美が生かされるのは、あくまでそれが十分に働くために整えられた環境の中に組み込まれている前提のゆえであって、一度そこから切り離されれば、それは機能美溢れるその勇姿を失い、ただのガラクタか無用の長物と化してしまうものである。


しかし芸術作品は、それ自体が視覚美であろうが、概念美であろうが、美として成り立っているものであって、その意味においてデュシャンは「泉」という作品を通して、ただ単に既存の美術界に対して科学技術の優位性を提示しているのではなく、科学技術によって作られたものの限界をもまた、提示したのである。

このようにデュシャンは、それまでの美の歴史にはなかった新しい美のかたち、視覚ではなく「思考」によって楽しむためのアート、「コンセプチュアルアート」を提唱した。これこそは、芸術界におけるパラダイムシフトであり、ひとつの革命であった。それがデュシャンを現代アートの父、また20世紀における代表的なアーティストとして、言わしめている理由である。これにより美の世界は「現代アート」という、より自由で多種多様な、新しい美への可能性へと向けて動き出すのである。そしてその流れは現在にまで至っている。


このように、デュシャンという人物は、非常に型破りなアーティストであった。彼の美の世界に対する功績は計り知れないだろう。しかし残念なのは、それに続く現代のデュシャンピシャン(レディ・メイドなどを行うデュシャンに追随する現代のアート作品)であり、彼らは残念なことに真の意味でデュシャンの哲学の理解者ではないだろうと思う。それは結局、彼らがデュシャンのエピゴーネンでしかないからだ。彼らがもし本当にデュシャンの精神の理解者であるならば、行うべきことはデュシャンの「模倣」ではなく、現代という時代精神と社会に対する新たな価値観の提示であり、美の革命であるべきだからだ。

その意味において、私たちが作っている金継ぎは、元あるもの(皿=レディ・メイド)が破壊されて、継ぎ合わされることによって、更に美しく、価値あるものへと変えられるという意味において、つまりレディ・メイドを打ち壊して、新しい価値を生み出すという意味において、一つの現代アートへのアンチテーゼとも言えるだろう。


そもそも金継ぎというのは利休が開いた茶の道の流れから生まれたものである。その利休について言えば、自分の弟子である古田織部に対しても、自分のエピゴーネンを作るのではなく、「新しいことをやりなさい!」と言って弟子たちに教えていた。だから古田は利休と違って派手好きで彼独自の個性ある道を切り開いて行った。それは同時に利休の精神性、茶道の「守・破・離」の実践でもあった。しかしそれこそが価値転換を行う改革者としてのあるべき姿であり、その精神性の継承法であるだろう。


そしてそれは現代アートにおいても同じではないだろうか。習うべきは劣化コピーの再生産ではなく「守・破・離」的な改革者としての精神の継承なのだ!(もちろんデュシャンが自分のエピゴーネン=デュシャンピアンを意図して作ったわけではない。それは後進のアーティストが勝手になっているだけで、彼が現代のあり様を見るならば、きっと笑うであろう)

もともとこの「守破離」とは、千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、


「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。


古く茶の修業は、まず師匠から教わったを徹底的に「守る」ところから始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積み、その型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含め、それらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良い型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。


さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と、自分自身で見出した新たな型の双方に精通し、またその上に立脚することで、既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。


「本を忘るな」とあるとおり、教えを破り離れたとしても根源の精神を見失ってはならないということが重要であり、基本の型を会得しないままに、いきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」なのである。


無着成恭は「型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』」と語っており、これは十八代目中村勘三郎の座右の銘「型があるから型破り、型が無ければ形無し」としても知られる。


現代アートの世界においてもそれは同じである。知識や技術としての形は持っていても、その根源の精神性を見失っている者、つまり「本を忘れている」いわゆる「形無し」が多様に存在しているように感じる。


その意味において、形無しの者とは「破」の者ではあっても「離」の者ではない。本当の「離」は自立の「立」でもあり、本当の「離」は、ただ既存のシステムからの脱却/解放だけを目的としているのではなく、それら既存のシステムをも全て包括した上において、新たな立脚点の型の確立を志向することであるからである。


だからいつの時代も本質的に必要なのは、千利休やその弟子である古田織部のような「本を持った」型破りなアーティストであって、形無しな者ではない。求められているのは、そのような時代の改革者なのである。


その意味において、利休、そして現代アートを提示したデュシャンもまた「型破り」なアーティストであり、デュシャンにおいては近代から現代への新たなアートの立脚点の形を提示した人物だと言えるだろう。


またデュシャンが高名なチェスプレーヤーであったということはよく知られているが、彼が思考によるアートという発想に至ったのは、チェスプレーヤーがチェス駒に対して視覚的な芸術性や美しさにあまりこだわりがない様に、それよりも、相手とのプレイの中において展開される、動的かつ芸術的な思考の流れや、新しい手の発見、そのゲームの双方向的な思考の流れの中にこそ、喜びを見出すからであって、彼はアートの世界にそれを求めたのであろう。


また同時に、デュシャンが提唱したコンセプチュアルアートは、それまでの美術のように観賞者が視覚的に美しい作品を、ただ受動的に受け取るだけではなくて、鑑賞者が能動的にその作品の根底に思考をめぐらし、その作品を解釈することによって、作品が成立するものと定義されている。


問題は、デュシャンのエピゴーネンのように、後の現代作家が、現代という時代性を背景にしながら、デュシャンのその改革者としての精神ではなくて、ただ形だけを模倣し「そのクリエイティビティ」を放棄していることである。その例が安易に模倣される「レディ・メイド」である。それはあの時代背景におけるデュシャンの作品だからこそ意義のあるものであって、その後の者にとっては単に創造することの喜びを放棄している行為でしかないだろう。


また、デュシャンより400年も前に、日本において、時の関白秀吉が作った黄金の茶室や、茶器が人命よりも重いとするような当時のいびつな社会的価値観に対抗して確立した

利休の侘び寂びの哲学に基づいて創作された茶碗や茶室など、その美性、その創造性のあり方もまた、型破りな「離=立」の姿であろう。


私はデュシャンも利休も、彼らの置かれている時代背景や文化の中において、彼らが改革者として生き、作品を作っていったその姿に感動するし、それこそがアートだと思っている。


しかし問題なのは、私が「デュシャンの穴」と呼んでいる、デュシャンが、それに続く者たちに計らずも残してしまったものである。


デュシャンにおける「視覚美の否定」は、コンセプチュアルアートの確立のため、時代的要請として必要不可欠なものであった。でもそれは同時に、それまでの美術の歴史の中で積み重ねてきた視覚に訴えかける美の追求というものを、デュシャンを通して放棄してしまったことでもある。そのためそれ以降に続くアーティストたちが、視覚美にとらわれない自由な発想の新たなアートを追求することとなり、その結果、数多くの素晴らしい作品が生まれたが、同時にポストモダンという時代精神の影響もあって、時として目を覆いたくなるような不道徳な作品、不信仰的な作品、また糞尿を題材とした作品など、インパクト狙いだけを目的としたような作品が数多く作り出された。


つまりデュシャン以降、美術の世界は、美しかろうが、美しくなかろうが、何でもOKの世界になってしまったのである。その実験的な試みによって、確かに自由な発想による多種多様なアート作品が生み出され、それ自体は現代アートにとって、多様性の補完と言う意味において有益なことではあるのだが、それと同時に上記したような、自由の意味を履き違えたような作品群と、その潮流が生まれたこともまた事実である。それが私が言うところの「デュシャンの穴」である。


しかし私は同じコンセプチュアルアーティストとして、この「デュシャンの穴」を埋めることができるのは、もう一人のコンセプチュアルアーティストであり、ある意味、そのオリジンでもある日本の茶人、千利休にこそ、そのヒントがあると思っている。


なぜなら利休にも、その時代における「美」に対する戦いがあったからである。それは戦国時代、時の権力者、秀吉が作った黄金の茶室に代表されるような、金さえあれば、目立てば、人々が驚けば、自分の力が誇示できれば、何でも良いとするような、権威主義的かつ拝金主義的な美に対しての静かな「戦い」であった。


それはまるで現代におけるART WORLDとの戦いのようである。(ART WORLDとは、コレクター、ギャラリスト、批評家、アーティストなどからなるグループで、この作品は価値がある、この作品は価値がない、などを決定している集団のことである)


そして利休は「侘び寂び」における審美感、見た目には豪華でもなく目立つものでなくても、この世における不完全なもの、不足しているもの、一見乏しく見えるものの中にこそ、視覚ではなく概念(コンセプト)としての「美しさ」があるとして、それを茶の世界の中で表現した。


また、有名な利休の「朝顔」の逸話を例に見るように、利休こそは、デュシャンの400年も前からコンセプチュアルアートを理解し、それを体現している一人のアーティストなのである。そしてこの利休の「侘び寂びの美」における審美観こそが、近代から現代というアート界のパラダイムシフトの中で、望まざるも生まれてしまった「デュシャンの穴」を埋めることができるものであると、私は確信している。


また新約聖書のヘブル書の中には、1世紀の中東世界、教会が弟子たちによって世界へと向けて広がり始めた頃、ローマ帝国からの迫害によって命をかけて信仰を守らなければならなかった聖徒たちに書かれた言葉がある。


「(こんな時代だからこそ、我々は)互いに勧め合って、愛と「善行」を促すように注意し合おうではありませんか。」(ヘブル10章24節)


ここの「善行」の原語的な意味には「美しい」という意味もある。かつてソクラテスがその著作「ヒッピアス」の中で「美とは何か?」という問いを知恵者ヒッピアスに聞いた時に、彼らの中で「美しいことと善いこととは別ものではない」という共通認識を持つに至った。


つまり命がけの戦いだからこそ、私たちは美しいこと(善いこと)を追い求めようと、聖書は語っているのである。そして利休は、事実命がけで、茶の道のあるべき姿を守るために、侘び寂びの美の表現を実践した。


現代のアートにおいて真の意味で求められているもの、それこそがこのヘブル書に書いてある「美しいこと(善いこと)」を追い求めることなのではないだろうか?


その一例が利休における「侘び寂びの美」であって、詳しくは私の他の記事「金継ぎと侘び寂びとキリスト教の関係について」を参照していただくとして、(利休の侘び寂びの精神は「キリスト教精神」に基づいているものなのである)アートの世界におけるクリスチャニティの回復、つまりキリスト教アートの復権こそが、現代において求められている時代精神であると私は確信する。そして私たちは利休の生き様やその作品から、その真実の一端を垣間見ることができるのである。

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