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レハブアムと南ユダ王国の回復の物語ーコロナ禍第2章における、私たちが気が付かなければならない痛みと、そこからの回復についてー

更新日:9月1日



このブログ記事は、前回書いた『光るどろだんごと割れた泥だんご ー コロナ禍第2章におけるこれからの神の家族と社会のあり方について考える ー Ⅱコロナワクチン編 』の続きとして書いたものである。


5月8日による国の『コロナ収束宣言』、またWHOによる新型コロナの緊急事態の終了宣言を持ってして、この3年間に渡るコロナパンデミックの長い幕は、とりあえずの終結を迎えた。何も振り返ることもなく。。。


このコロナパンデミックとは、一体何だったのか?様々な疑問だけを残して、LGBTQトランスジェンダー問題、ロシア・ウクライナ戦争、マイナカード問題、増税問題、食料問題、移民政策。。。1つのものが終わっても、それを振り返る機会すら与えられずに、同時にあらゆる問題が押し寄せてくる。。。私たちはその日々の中で疲弊し、摩耗し、ただ目の前にある現実を、どこか人ごとのように眺めながら日々の生活に追われ、その日を過ごしている。。。そんな現状ではないだろうか?


現代に生きる『いちキリスト者』として、コロナ+黙示録=どうせただの陰謀論のような、安っぽい批判ですべてを終わらせられるほど、現実はこれまでのような『終わりなき日常』への回帰を許してはいない。この記事は、上記したブログの続編として、これから更に先鋭化するであろう神の国の分断に対して、コロナ+南ユダ王国の物語から、分断化された世界の回復を目指す上で、私たちが『気が付かなければならない痛み』と、そこからの『回復』とは何か?を描いたものである。


今回、用意周到に計画されたこの『コロナパンデミック』は、私たちの意志や行動、不安や違和感、あらゆるものを置き去りにして、急に始まり、急に拡大して、気が付いたら政府とメディアが一体となって、偽りの情報、誇張された情報、また歪曲された情報を日々流し続け、人々が疑念を抱く隙も与えることなく『コロナ』という恐怖によって人々を煽り、その上で、これが唯一の救いであると言わんばかりに『ワクチン接種』を進めてきた。

https://t.co/bjilwKc39n (藤江氏Twitterより)


しかしその結果、上記した日本の人口動態統計を見れば明らかなように、日本ではコロナワクチン接種開始後からこれまで、戦後最大の異常な死者数を記録している。またそれと共に、コロナ感染者数は世界一、重篤者数も圧倒的に多く、全国各地でワクチン後遺症被害、またシェディング被害の声が相次いでいる。もはや隠しきれないレベルである。だから一部メディアも少しづつ、その真実を認め始め、小さな声で語り出した。

https://twitter.com/sousyou13/status/1676769391839682560?s=20

上のリンクは、NHKニュースウォッチ9で、5月8日からコロナウイルス感染症の位置付けが、これまでの2類相当から5類に切り変わり、インフルエンザと同じ季節性の風邪の一種として取り扱うことが決まった時のものである。NHKはワクチン後遺症で家族を亡くした遺族にインタビューを求めるも、意図的な編集によって、ワクチン後遺症で亡くなった人たちを、あたかもコロナで亡くなったと見せかけ放映することにより、被害者遺族から訴えられ、BPOの審査の元、その誤りを認め、放送内で公式に謝罪し、一部関係者を懲戒処分とした。

多分これまでは一部の地方局以外では決して取り扱われることのなかった「ワクチン後遺症」の存在が、もう揉み消すことのできない公的な事実として全国放送上で認知された瞬間である。しかし「シェディング被害」については未だに沈黙のままである。認められない理由があるのだろう。


このように、この2年間に渡る政府主導のワクチン攻勢の結果、この国では「コロナが無事終了して良かったね」というメディアによって作られた偽りの声と共に、これまでのすべての偽りが、忘却の彼方に流されようとしている。


以下の問題はコロナ発生時より、ワクチンやその他あらゆることに警告を鳴らして来たナカムラクリニック院長の中村医師のブログからのものである。


https://note.com/nakamuraclinic/n/n1ef4eb3cf274

答えは「ファイザー製コロナワクチンの保存期間」の変移です。


当初は6ヶ月だった保存期間が、急に9ヶ月になり、現場は混乱した。

そもそも医薬品の保存期間が延長されるということ自体が前代未聞であり、現場はこれに対して手書きで修正することになった。さらにその後、9ヶ月が12ヶ月となり、さらに18ヶ月と延長がくりかえされ、当初の3倍となった。体に入るものだからこそ、その消費期限は本来ならば最も気を配るべきものであるのだが、もはや打つことよりも打たせることが目的化していたワクチンだったので、保存期間が国の都合で簡単に変化してゆく。さらには、



ファイザー製のワクチンは当初、超低温保存(−90度から−60度)することが義務付けられており、解凍後の保存期間も最初は5日だったのだが、それが最終的には1ヶ月まで良くなった。しかし5日が一ヶ月とは6倍の期間延長である。なんでそんな変更が許されるのか?人の体に直接入る薬が、こんなずさんな管理体系によって保存されていたなんて。メディアでは決して声を大にして言わなかったが、どう考えても可笑しいことだろう。


またオミクロン用二価ワクチンも、元々アメリカで打たなくなったものを在庫処分として日本に持って来たものだから、保存期間もクソもなく、打っても益のないものを日本人は打たされていた。では次の問題です。



これは接種期間の変移である。接種間隔も【8→6→5→3→12】と、当初2回目から3回目までの接種感覚は最低でも8ヶ月空けるようにと言われていたものが、その後6ヶ月になり、5ヶ月になり、3ヶ月になり、最終的には1年に一度で良しとなり、それどころか、インフルエンザワクチンとのダブル接種も良しとのこと。

そもそも短期間に頻繁なワクチン接種を繰り返すことは、人の免疫システムに負荷をかけてしまうので良くないというのが、医療上のコモンセンスらしいのだが、一体どこに行ってしまったのか?中村医師は、驚くのを超えて、あきれたと言っている。


https://twitter.com/minakenbo/status/1683407887052447745?


また上のツイッター記事は先日、大阪泉大津市で行われたアフターコロナシンポジウムで、ワクチンについてずっと警告を鳴らして来た日本の良識的な専門家である村上康文東京理科大学名誉教授や、小島勢二名古屋大学名誉教授、また豊田孝行医師をパネリストとして迎えた時に語られた講演内容のポイントについて書かれたものである。いま日本ではこういった講演会が全国各地で行われている。


また先日のOCCでの中村医師の講演会にも見るように、ようやく日本のキリスト教界においても、実際に自分や周りの兄弟姉妹たちがワクチンによる健康被害を経験したり、政府のワクチン政策に違和感を覚えたりと、真実を知るための活動が開始されている。素晴らしいことである。この良い流れがより大きな流れとなることを私は祈っている。



まず知るべきことは、海外では昨年の8月以降、追加接種は進んでいないということ。だから未だに5回目、6回目と打ち続けてる国は日本だけだという事実について。

もう一つはワクチン接種をすればするほど感染しやすくなるという事実。厚労省は昨年8月まではワクチン接種と感染状況を公表していたが、ワクチン未接種の感染者数を故意に増やしていたことがバレて、それ以降公表を止めている。実際は下の図の通りである。このワクチンは、打てば打つほどコロナにかかりやすくなり、重症化しやすくなるのだ。しかし実際に亡くなればワクチン死ではなく、コロナ(関連)死として扱われるなど。国は決してワクチンが原因だとは認めない。なるべく認めようと思わない。しかしその数はすでに40万人を超えている。この事実をどれだけの数の人が知っているのだろうか。

このほかにも、このワクチンが有害無益なものであり、このコロナパンデミックがただの茶番劇であることを裏付けるたくさんの証拠があるのだが、それを載せることがこの記事の目的ではないので、Duckduckgo、ニコニコ動画、またツイッターなど、自分で調べてみて欲しい。たくさん出てくるだろう。


このように、人々の不安や違和感、そしてあからさまにおかしかった数々の出来事をよそに、このワクチンが有害無益なものであるにも関わらず、自分もその被害者の一人かも知れない、そう思いたくない人の心もあって、今後同じような事態が起きた時も、振り返ること自体が『痛み』となってしまう多くの人たちにとって、多少生き辛くはなったけど、都合の悪い事実は封印して、またいつも通りに生きてゆこうと社会は動いてゆく。 でもそんな思いとは裏腹に、日本におけるコロナ禍第2章はすでに動き出している。


事実この国は、時間の経過と共に様々な症状が現れるこの『遅効性ワクチン』の過剰接種によって、すでに未曾有の『ワクチン後遺症大国』になっていることに一体どのぐらいの人が気付いているのだろうか?


例えるなら、私たちは今、津波に飲まれている地域に立たされているお互いのようである。ある人は屋根の上に登り救助を待ち、またある人は安全地帯に逃げ込み、またある人は津波に気が付かずに、普段の生活を続けている。そんな状況ではないだろうか。


しかし実際、誰がこの波に抗えたのだろう。2021年当時、右を見ても左を見ても、誰もがみんなその流れに乗っていた。。。なぜなら誰もがみなその流れに抗えなかったからだ。不条理の波は津波のように襲って来ては、それを否定する者を排除し、自己防衛する間もなく、すべてを飲み込んで行った。

私たちは日本と言う特有の文化的障壁の中で、基本的には権威に従い、周りをよく見て自分が恥とならぬよう、務めている。その同調圧力の中で、この津波のようなワクチン攻勢に抗うことは確かに難しかったと思う。またワクチンを受けること自体が、他の人への『思いやり』であるという政府の言い分は、情緒性豊かで人への思いやりにあふれる日本人にとって、ワクチンを打つ大きな要因となったことは言うまでもない。


孫が祖父母のために、妊婦のお母さんが生まれてくる子供のために、また子どもが親のために、そして夫が妻のために。。。みなワクチンを打った。。。不条理な世界が広がっていった。


ちょうど10年前、東日本大震災後に放射能という目に見えない恐怖が日本列島を駆け巡った時、それに囚われた人たちが、焦って日本から飛び出したり、福島県から他県に来た人を差別したように、放射能がコロナウイルスに差し替えられて、『治験』という名の元に、生後6ヶ月の幼児から子供、妊婦、若者、中間層から高齢者まで、下の図に見るような首相の謎の掛け声によって、全国民の8割以上がワクチンを打った。

この人は一体何がしたいのか?

ちなみに2023年7月現在のワクチン接種状況は以下の通りである。

もちろん現段階において、すべての人が明確なワクチン被害に直面しているわけではない。中には何の問題もなく元気な人もいる。実際そう言った人の方が多数だろう。それは感謝なことである。その平穏の中に生きられるなら、それが一番である。


しかし懸念していることがあるとするならば、それはこのワクチンが『遅効性ワクチン』であるということだ。つまりこのワクチンは打った直後の副作用もさることながら、打ってから1年ないしは数年経ってから、何かしらの症状が現れてくるように設計されている遅延発症型のワクチンであり、人の免疫機能を抑制し、体内でスパイクタンパク質を増産することで時間をかけて人の体を弱体化させる働きがあり、その結果ワクチン後遺症になったり、場合によっては免疫不全症候群になる可能性があるからだ。


だから最近になって、急に体の調子が悪くなったり、何かしらの症状が発症したり、癌になったりする人が増えているように思うのは、私だけだろうか。急な老化、帯状疱疹、季節外れのインフルエンザ、梅毒、不自然な病気、または普通の風邪がなぜか大病になると言ったように、このワクチンは打てば打つほど免疫力が下がってゆき、あらゆる病気にかかりやすくなる。その結果、コロナにもかかりやすくなる。さらには重症化もしやすくなるために、欧米ではすでにこのワクチンの接種推奨を辞めている。これは欧米のデータで裏付けられている事実である。しかしそれに反して未だに5回目、6回目と打ち続けている国は世界中でも日本だけである。


そしてもうひとつは、このワクチンの3分の1が、プラセボという生理食塩水、いわゆる『空砲』が含まれている、言わばロシアンルーレットであるからだ。だからワクチン接種後に、別に何の副反応もなく、その後も何の体調変化もない者は、そのワクチンがプラセボであったということだ。


しかし私たちはこのワクチンがあくまで治験中のものであることを忘れてはいけない。同意書に書いてあった通りだ。だからその中にはプラセボもあれば、各ワクチンのロットナンバーによって、含まれている内容や濃度も違う。だからこそ、あるロットナンバーがやたらと死傷者を出したり、他のロットナンバーは何もなかったり。しかし何度も何度も接種を繰り返せば、当然プラセボ以外のワクチンに当たる可能性は高くなる。だからこそ、ワクチン接種をして、これまで何の問題もなかった者は、それ以上受けるべきではない。


大事なことは、もうこれ以上ワクチンを打たないこと。また接種以降、体調不良が気になる方は、全国有志医師の会に所属の医師の医院やクリニックに訪れてみることを勧める。オンライン診療をしている所もある。また個人的にできることとして、イベルメクチン、ビタミンC、亜鉛、5ALA、フルボ酸、グルタチオン、ビタミンD、ナットウキナーゼ、ブロメライン、クルクミンなどの摂取や、手作り酵素や野菜スープなど、細胞内のミトコンドリアを活性化させるものやファイトケミカル、そして欧米食中心の食内容から日本食中心の食事(玄米食、発酵食品:味噌、豆腐、醤油、納豆など)へ切り替え、よく噛んで食べると共に、濃いめの緑茶、また松葉茶を飲み、日の光を浴びながら適度な運動をし、夏は裸足でビーチを歩いたり、また土に触れるという意味では農作業も良いだろう。とにかく腸内細菌を健康かつ豊かにすると共に、なるべく自然の環境の中で免疫力を上げることが大事である。これも下のリンクに詳しく書いてあるので、ぜひ参考にしてほしい。


https://www.jc-creativeartministry.com/post/光る泥だんごと割れた泥だんごーコロナ禍第2章におけるこれからの神の家族のあり方について考えるー


そもそも2021年より始まった政府主導のワクチン攻勢は、コロナウイルスというものが、パンデミック開始時に武漢でバタバタと人が倒れる映像で見たような、強力で未知なウイルスとは違って、日本上陸後に経験したそれは、季節性インフルエンザと代わり映えのないものだった。(実際他国においても、コロナウイルスで、あのようにバタバタと人が倒れたことはなく、あれはクライシスアクターによる茶番劇だったとか、武漢が5Gの大型試験場であったこともあり、電磁波の影響だったのではないかとか)様々な声が聞こえて来るが、一つ言えることは、あれがあったからこそ、みなコロナは恐ろしいものなんだと認識してしまったということだ。


そしてその後、武漢株がアルファ株、デルタ株になって、呼吸器障害を起こす患者が増え、連日におけるエクモの出動、病院の逼迫、感染者数の増加、変異株の恐怖など、マスコミは連日のようにコロナウイルスの恐ろしさをこれでもかと煽り続け、それに伴いお年寄りや基礎疾患のある者は重症化しやすいという学者の言葉や、首相直々にワクチン接種こそが唯一の道であると、メディアを通して訴えるなど、実際は病院は逼迫していなかったし、病床も余っていたし、コーラでも反応するPCR検査の設定回転数の正確さも怪しかったし、厚労省も感染者数のデータを改竄したりと、日本政府は、ありとあらゆる手を使って、このワクチン政策を進め続けた。


まずは日本人口の3分の2を有する高齢者をターゲットに、速やかにワクチン接種を誘導し、その後も「あなたの大切な人を守るためにワクチンを」という『思いやりワクチン』キャンペーン、また職場などではワクハラという言葉が流行ったように、日本人特有の同調圧力をうまく利用して、ワクチン接種、そしてマスクや消毒などの感染症対策は、この国においてこれまで徹底的に進められてきた。


その後も妊婦や幼児に至るまで全人口を対象に、コロナへの恐怖とワクチンの必要性を政府の御用学者を中心に、メディアを通して訴え続け、4回目、5回目、6回目と。日本におけるワクチン接種は、世界に類を見ない被害を出しつつ、今も進み続けている。

事実コロナワクチンの接種開始以降、日本は世界でも最もワクチン接種を推進してきた。またマスクや消毒などの感染症対策についても徹底して行ってきた。それが良いと信じてきたからだ。またそうでなければ、ここまで接種しなかっただろう。それにも関わらず、日本の人口動態統計を見れば分かるように、現在日本では戦後最大の異常な死者数を記録すると共に、救急車の出動件数も国内最多、また40万人を超える異常な数のコロナ関連死に加え、コロナ感染者数においても世界一となった。


つまりこのコロナワクチンを始めとする感染症対策は、すべて失敗であり、その予防効果にせよ、重症化防止効果にせよ、そんなものはハナからなかったのである。それは厚労省のデータ改竄が全てを物語っている。すべては国民にワクチンを打たせるために行ってきたことなのだ。


そして最近の研究結果では、特に3回目移行のブースターショットのmRNAワクチンの中に "SV40" という遺伝子組み換えDNAが入っていることが明るみになった。これは人が『ガン』になるように誘発する物質なのだ。だから最近、ワクチン接種者の中で、急にガンになる方、なったと思ったらすぐに第4ステージになる方、いわゆるターボ癌の患者が多いのは、ワクチン接種が原因であると研究者たちは言っている。


製薬会社との密約のため、国は絶対に認めないが、昨今の帯状疱疹、心筋炎、倦怠感、蕁麻疹、ブレインフォグ、不正出血、認知症、血栓症、胸痛、目の悪化、脱毛、呼吸障害、流産、梅毒、エイズ、難聴、歩行困難、急な老化、皮膚疾患など、それらのすべてはコロナ後遺症などではなく、コロナワクチン後遺症であるということ。このワクチンが遺伝子改変ワクチンとも遺伝子組み換えワクチンとも言われている由縁がここにある。なぜならワクチン接種者の体内ではmRNAの逆転写によって、またはDNAの遺伝子組み替えによって、体の細胞が書き換えられ、自分の体の細胞が自ら継続的にスパイクタンパク質を製造するようになってしまうからである。

当初国の説明では、mRNAは決して逆転写することなく、30分もすると体から消えてなくなると言われていた。だから多くの人が安心して打ったのだ。しかしある研究結果によると、接種後1年半経った人の体の中でも、スパイクタンパク質が作られ続けているという報告が上がっている。さらにこのワクチンは人の免疫システムを抑制し低下させる機能も有しているので、スパイクタンパク質は作られ続けているのに、免疫は下がり続けるという最悪の状態になってしまう。


またこのスパイクタンパク質が血流を通して流れ着いた先が、仮に臓器であれ肺であれ心臓であれ脳であれ、それによって上記のような症状が現れ、また免疫がだだ下がりした結果として、帯状疱疹や梅毒など、免疫システムが通常通り働いていれば決して現れない症状が現れることもある。


政府はこれらの事実を認めて、後遺症者救済のために尽力を尽くさなければならないのだが、彼らはマスコミも抱え込んで、推進の波ばかりを立ち上げてくる。だからまず私たちが、その悪意に気付かなければならない。なぜならそれは決して主の求めているものではないからだ。


またそれだけじゃない。驚くことにこのワクチンは、接種した者の汗や呼吸、また体液などから、接種者本人の体内で製造されているスパイクタンパク質が外界に発せられ、また拡散するという。そのため近くにいる者は受動喫煙者のように、その影響に晒されることになる。これをシェディングと言う。


しかもその被害は、高回数接種者<低回数接種者<未接種者という順に、人はシェディングの被害を受けることになる。そしてその症状は上記したコロナワクチン後遺症の被害と似て、人によっては日常生活を送ることさえ困難になる。つまりこのワクチンの被害はもはや接種者だけではなく、未接種者もまた、その被害、その痛みの中にあるということだ。これはファイザー社自身がワクチンの注意書きとして接種前から認めている事実であり、特に妊婦の方は危ないとされている。


そしてこのシェディングの厄介な所は人と人との間に分断を生み出すことにある。なぜならスパイクタンパク質を外界に発している接種者のそばにいる者が、その被害に遭うからだ。。。もちろんすべての接種者が継続的な伝染者(Transmitter)となるわけではないが、接種して最初の1、2ヶ月は多くの接種者がTransmitterとなる。だからワクチン接種を繰り返すことは、人にとって思いやりでも何でもなく、それは自分の健康だけではなく、隣人の健康をも害するものなのだ。


それが仮に会社であっても、学校であっても、家庭であっても、神の家族である教会であっても同じことである。このシェディングの問題は、あらゆる関係性の中に『痛み』と『分断』を生み出すものだからだ。そしてその流れは、ワクチン接種が進めば進むほど酷くなってゆく。だから、ここに教会としてのチャレンジがある。そしてだからこそ私たちは目を覚ましていなければならない。しかしここにひとつの福音がある。


去年8月、コロナウイルスやコロナワクチン後遺症に関する研究が進んだ結果、ワクチン接種者がmRNAと共に体内に取り込んでしまったスパイクタンパク質を効果的に分解し、さらには体外に排出する方法として、日本の城西大学薬学部の研究室が『ナットウキナーゼ』の存在を報告した。この内容は、ヨーロッパの科学専門誌『Molecules』に掲載され反響を呼び、他にもアメリカの循環器系医師であるピーター・マッカロー博士、そしてウイルス学、免疫学のロバート・マローン博士などが、ナットウキナーゼの使用こそがワクチン後遺症、またはスパイクタンパク質の効果的な解毒法として、その治療法であることを提唱している。


ナットウキナーゼとは、そもそも日本人が古来から日常的に食べ親しんでいる「納豆」のことであり、その成分である。つまりこれまでにもイベルメクチン、オートファジー、5ALAなど、コロナウイルス治療、またはワクチン後遺症治療において、日本はまたも世界の先駆けとなるべく、その道が与えられているということがここに証明されている。


ナットウキナーゼについて

https://twitter.com/w2skwn3/status/1641045048350621697?s=12

オーソキュラー医学会記事

https://isom-japan.org/article/article_page?uid=pdpvw1689236386#sub-chapter-2

ピーター・マッカロー博士

http://totalnewsjp.com/2023/07/15/covid19-907/

ロバート・マーロン博士

http://totalnewsjp.com/2023/03/31/covid19-853/

FLCCC新プロトコル(ワクチン後遺症治療のためのガイドライン)ナットウキナーゼ込み

https://covid19criticalcare.com/protocol/i-recover-post-vaccine-treatment/


またマッカロー博士によると、以下のようなプロトコルが良いとのこと。みなAmazon等で手に入るものであり、また実際に購入できるものばかりだ。


1、ナットウキナーゼ 2000U 1日2回 (納豆)

2、ブロメライン 500mg1日1回

 (パイナップル、青パパイヤ)

3、クルクミン 500mg 1日2回(ウコン)

  クルクミンはケイ素と共に取ると良い。

https://note.com/nakamuraclinic/n/n76da06c66a9a(ナカムラクリニック参照)


これによって接種者が体内で生成しているスパイクタンパク質によって生じるあらゆる健康被害を抑えることが可能であると共に、外側への伝播(Transmission)抑制ともなり、また未接種者においてもシェディング対策として有効な方法となるだろう。


しかし日本政府はなぜ世界に先駆けて、この福音を大々的に拡散し、国内外に存在する多くのワクチン後遺症患者やその予備軍の人たち、またはシェディング被害に苦しんでいる人たちの救いのために貢献しようとしないのか?これほどまでに、その材料があるのに!!


ここが日本の分岐点ではないのか!!


なぜ逆に政府は、自分の国である日本を世界中の不要になったワクチンの最終処分場として、人々を扇動し、打たせ続け、さらなる売国売民政策を行っているのか? なぜその流れを加速させているのか?


ちなみにこの5月に行われた二価ワクチン、そして9月に予定されているXBB型ワクチンは、人での治験を一切行っていない、ネズミの実験だけで、すぐに人体実験へと移されている。日本だけで行われる特殊なワクチンで、他の国では日本人を使った人体実験だと言われている。つまり政府はそれを承知で、製薬会社に自国民の命を実験台として差し出しているのだ。


その証拠に現在南相馬市にmRNAの新工場が作られ、渋谷にCDCの日本支社が設置され、ファイザー日本支社が設置され、はたまた日本の最高学府である東京大学も先日モデルナとの研究提携を発表したばかりだ。


またお菓子メーカーである明治製菓も、アメリカのRNA医療品バイオテクノロジー企業であるArcturus Therapeutics 社と共同で、人にも動物にも使える『自己増殖型mRNワクチン(レプリコンワクチン)』というものを開発しており、これは接種した人の体の中で mRNAが従来の20倍に増殖するもので、現在厚労省に国内製造販承認申請を行っている。つまり今までの20倍の威力のワクチンが、これから先日本国内で製造販売されることになるのだ。


すでにコロナの終了宣言を受けたにも関わらず、なぜアメリカの製薬会社は、日本に工場や支社、そして大学や企業との提携を行う必要があるのだろう?それは『これから』が、この治験ワクチンの結果を受けて、様々な健康被害が現れてくる局面(フェイズ)になるからに他ならない。さらにはその被害を拡大する予定だからだ。つまり『製薬会社の出番』というわけだ。


これは日本だけの問題ではない。このコロナパデミックによって、世界全体がコロナという人工ウイルスと、有害無益なワクチンの波に飲まれ、疲弊し、磨耗し、弱体化し、また混沌化したと言ったのか。事実多くの国がそのためのデモ活動を行い、政府と国民が激しく対立した。


そしてなぜ、このパンデミックを通して、(一部地域を除く)各国政府は、WHOの忠実な「しもべ」になってしまったのか。またなぜWHOはそんなに大きな権限を持つに至ったのか?ビル&メリンダ・ゲイツ財団をはじめ、世界の『持てる1%の者たち』がこのパンデミックを契機にその資産を倍増させているところを見ると、彼らがWHOに出資、そして権威を持たせ、このコロナパンデミックの旗振り役として利用したと言えるだろう。今や各国政府はアメリカや日本も含めて、新自由主義経済の持てる1%の者たちの権威の下に位置している機関と言えるだろう。


事実多くの国が、WHOの決定と一方的な情報に盲従、隷従して、十分な臨床実験もなしに緊急承認されたファイザーやモデルナのワクチンを大量購入し、慎重な議論も、公平な説明もなしに、自らの国民に打ち続けてきた。その結果多くの国がワクチンに違和感を感じ、異を唱え始め、接種を中止し、反対活動を行い、暴動を繰り返し、権利を勝ち取って来た。しかし日本だけが唯一、今でもワクチンの継続的な接種を続けている。それは国民が沈黙し続けている中で、政府が国民の命をアメリカの製薬会社に売り渡してきたからに他ならない。


しかしここまで来ると、ビル・ゲイツをはじめとする「持てる1%の者たち」による『人口削減計画』も、ただの陰謀論ではないと思わざるを得ない。


事実ビル・ゲイツはこのコロナパンデミックが起こる前から、このパンデミックについて、またワクチンについて、あらゆる場所で語って来た。


そして今回のワクチン『ビジネス』を通して巨額の富を得たのも、ビル・ゲイツ本人だった。製薬会社のファイザーは2021年度4.5兆円の計上利益を得た。その大株主がビル・ゲイツ本人である。さらにはWHOに資金を提供しているのもビル&メリンダ ゲイツ財団である。つまり事実上のWHOのオーナーということだ。これまでアメリカを始めとする「持てる1%の者たち」は戦争ビジネスを盛んに行って来たが、それに加えて今度はワクチンビジネス、そしてこれからは、食糧と水の戦いになってゆくだろう。注視が必要である。


このようにお金の動きを確認すると、物事の動きが見えて来る。このコロナパンデミック中で「持てる1%の者たち」はその資産を倍増したのに対して「持たざる99%の者たち」のうち5億人の人間は、1日の生活も送れない貧困層になってしまった。もはや彼ら1%の多国籍企業の力は、国の力をはるかに超えて動いている。これが新自由主義の行き着いた先である。


そして今回のワクチンにおいては、製薬会社にとって不都合な真実(ワクチン副作用の実態など)は、各国政府が最低10年間は隠蔽するように、製薬会社から指示が出され、ワクチンに関するあらゆる損害についても製薬会社が守られるように、不条理かつ不平等な契約が、日本政府を始め各国政府の間で交わされている。世界経済フォーラム、ダボス会議、この神なき「持てる1%の者たち」が支配する世界、それこそが聖書が描くところの終末時代の状況なのである。いまは終末時代である。しかし患難時代ではない。

マタイ24章、ルカ21章に、終末時代になると方々に戦争や地震、疫病や飢餓が起こると書いてある。そして第2テモテ3章には、終わりの日には困難な時代がやって来ることが書いてある。その時人々は自分を愛する者になり、金を愛する者になり、感謝をせず、両親に従わず、神をけがす者になると。。。


また黙示録6章には四頭の馬が現れるのだが、教会が携挙されて後、患難時代に入ると「反キリスト」の出現に伴い「戦争」「飢饉」「死病」がこの地上を覆い、世界の全人口の4分の1が殺されると預言されている。2022年現在において、その序章としての出来事は世界各地で起きている。つまり携挙に伴うキリストの再臨は、それほど遠く未来ではないことが分かるだろう。またそうするとこのパンデミックも、終末時代の人の業として、極めて人工的な『疫病』計画であることが分かるだろう。


実際ファイザーのCEOが認めているように、このワクチンは自然界に存在するコロナウイルスから必要な要素を取り出して、人の体に抗体を作るために作り出された『従来のワクチン』ではなく、あくまで彼らが研究室の中で『人工的に作ったワクチン』だと明言している。そしてその中身は未だに未知のものであり、その情報の全ては開示されていない。だからこのワクチンは治験中と銘打っているのであり、遅効性の時限爆弾であることによって、自分たちがその責任を取らずに済むように組み立てられている。まさに悪魔の所業である。それこそ聖書に書いてある『黙示録18章23節』の箇所、大バビロンの崩壊が描かれている箇所の通りである。


『なぜならお前の商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。』とある。


この『魔術』という単語は、ギリシャ語の原語で見ると”PHARMAKEIA"と言って「薬」とか「医療」という意味がある。この記述自身は患難時代の後半に関する記述であるが、商人たち(ビジネスピープル)が、この地上の力ある者たちで、すべての国々が、彼らの「薬」や「医療」を用いた『偽り』にだまされていたというのは、とても現代的で意義深い内容である。このように聖書はいつも私たちに真理を提供してくれている。


でもそれだけではない。現在日本では、ワクチンによる薬害問題だけでなく、それと並行するカタチで、国にとって最も守らなければならない食の問題(食品添加物、コウロギ食、遺伝子組み換え食品、培養肉、ゲノム編集食品など)や農の問題(肥料や種、減反政策、酪農潰し、食料自給率、農薬問題など)またあらゆる社会問題(LGBTQトランスジェンダー、移民の受け入れ、軍事参入と憲法問題、水道水の民営化問題、海外へのバラマキと国内の過剰増税、5G(電磁波)の拡大、管理統制のためのマイナカード等)、コロナ騒動が始まってからというもの、この国はまるで坂を転げ落ちるように、政治家は国の舵取りを誤り続け、「持てる1%の者』に隷従し、彼らの使い勝手の良いコマとして、日本と言う国を切り売りしながら、亡国へと向かって進んでいる。


つまりこの国は、現在私たちの手から完全に離れたところで、一部の権力者たちの手によって『誰も望んでいない新しい国づくり』を行っている。だから私たちは今、多くの痛みを抱えながら、この亡国へと向かう国で『いちキリスト者』として、ここからの再起を図らなければならない。


下のリンクは、今回のコロナパンデミックという未知のウイルスに対して、多かれ少なかれある種の『勘違い』や『間違った』判断、また決してベストな選択が出来たわけではない自分や隣人や教会に対して、不完全な自分、不完全な他者、または不完全な教会、そしてそんな不完全な状況を許された神に対して、私たちがこのコロナ禍から再スタートをするためには、一体何が必要なのか?


多くの『痛み』を経験した私たちが、いつまでも痛みの中に留まり続けるのではなく、すべてを益へと変えてくださる主を信頼し、主を信じて、まずは痛みの要因となったすべての不完全さを赦すところから再スタートしようという、かつてイスラエルの英雄ダビデ王 が悔い改めの人であったように、主は必ず私たちの『赦しの選択』とその再スタートを祝福してくださる。これはそんな世界中のChurch Leadersに向けて書かれた記事である。


https://www.christianitytoday.com/ct/2023/may-web-only/covid-19-pandemic-amnesty-masks-vaccine-lockdown-church.html?utm_source=Building+Church+Leaders+Newsletter&utm_medium=Newsletter&utm_term=316235&utm_content=13335&utm_campaign=email


しかし今なぜ『赦し』が必要なのか?


それはすべての人間が主の前に罪人であり、不完全なものだからだ。それはイエス様が十字架上で『天の父よ、どうか彼らを赦したまえ』と祈られた言葉に要約されているとおり、自分を含むすべての人間が、不完全な罪人であるからこそ、私たちにはキリストの救いが、またキリストの赦しが必要なのだ。


なぜなら不完全な者が不完全な者を責め、そこに怒りをぶつけても、それは割れたお皿の切っ先で、互いに互いを傷つけ合うようなものだからだ。そこには傷と痛みしか残らない。


しかしそこにキリストの介入があって、またキリストの赦しがあるならば、2つに割れていたものが1つになるように、キリストによって和解をした者たちが、互いに手を取りあって一つとなってゆく。つまり2つに割れたお皿が漆によって1つに繋がれて、その上に金が蒔かれ、美しい景色を作ってゆくように、すべては祝福へと変えられてゆく。

だからこそ人は主を認め、主の前に悔い改め、『赦す』ところから始めなければならない。

それこそが、聖書の原則だからである。



それではここからは旧約聖書の列王記、歴代誌から、南ユダ王国のレハブアム王を中心に『ここからの回復』を探ってゆきたいと思う。


まずかつてのイスラエルの王であり、英雄、神と心が一つであったと言われ、悔い改めの人でもあった、キリスト者の模範、ダビデ王。彼の死後、今度は主の神殿を建て上げ、栄華を極めたソロモン。彼は晩年、残念なことに異教の国より迎え入れた大量の側室やそばめたちの影響から、自らも偶像礼拝を始め、禍々しい儀式を取り行うようになる。しかしそれがきっかけで、ソロモンは主の怒りに触れ、イエスラエル王国は分裂することになる。


分裂したイスラエル王国の片方が北イスラエル王国、そしてもう片方が南ユダ王国となり、共に新たな王が誕生する。この『回復の物語』は、ソロモンの息子であり、南ユダ王国の王となったレハブアムの物語である。


レハブアムは幼い頃から、ソロモンが宮殿に迎え入れた2000を超える異常な数の側室やそばめに囲まれて育ち、自らの母親もソロモンの側室の一人であり偶像礼拝者であった。その王族の一人の子として生まれたレハブアムは、その生活において、日毎のパンに悩まされることもなく、主の神殿以上に金銀と労力をかけた大宮殿に住み、父や母が偶像礼拝を行う姿、民が過剰な労働を強いられ搾取される姿、王族がそれを当たり前のものとして享受する姿を見て育ったため、真の神も、民の痛みも、理解できなかった。

さらには国の要所ごとに要塞が造られ、兵士で固められ、敵国からの侵攻も一切許さず、周辺国のすべてがソロモンに貢物を運んでくるなど、国としての地位と経済的交流が確立している中で、敵に命が脅かされる心配もなければ、内政上の裏切りもない。つまり何不自由のない生活がそこにはあった。しかしその内側では、2000を超える異常な数の側室やそばめによる王の恩寵を求めるゆえの覇権争い、ダビデ時代から本格化した側室の制度は、そもそも主の望むものではなく、王は多くの妻と軍馬を持ってはならないという予言者の言葉にも表されているように、その行為は主にあって罪そのものだった。

しかしダビデ でさえ数えるほどであった側室も、息子アビシャロムの謀反の際には、すべて公然に寝取られるという辱めを受ける結果となったにも関わらず、その何十倍もの側室やそばめを有していたソロモンには、彼なりの理由があった。それは周辺国との安全保障を前提とした政略結婚であった。つまり人質のようなものだ。だからソロモンは自国であるイスラエル国家が大きくなれば大きくなるほど、周辺国家との政略的関係性に目を配った。本来ならばどんな敵が襲って来ようが、少年ダビデが巨人ゴリアテを倒した時のように、これが主の戦いである以上、主がイスラエルを守られるのだが、父ダビデと違って、戦いの才がなく知恵の人であったソロモンは、知恵を使ってあらゆる戦いを回避する術に長けていた。


しかしそこに、人の知恵に頼り、予言者の言葉に耳を貸さず、罪を重ねた結果、異教の国の女性をも側室として迎える結果となり、最終的には彼女らの願いを聞いて、高い所に偶像の宮を建て、ソロモン自身も、赤子を火の中に投げ込むような、禍々しい偶像礼拝の儀式にその手を染めるようになっていく。

このようにソロモンは人の心の深みを理解することができる知恵が与えられながら、必要のない敵国への恐れが政略結婚を繰り返させ、宮殿建設のために民から税と労力を搾り取ったことで、民の怒りを買っていった。


しかもその中でも悪かったのは、国の内外において、自らの御目にかなえば、政略結婚とも関係なく、自分の側室やそばめにしてゆくソロモンの姿勢にあった。一説にソロモンはセックスアディクトであったと言われているが、主から知恵を授けられても、自らの人間的弱さに目を向け、自分が不完全な罪人でしかないことを認めることが出来なければ、人間は自分の力によって歩もうとする。すると信仰は形骸し、その知恵も自らの欲求に応えるための知恵となり、結果、罪に罪を重ねてゆく。


しかも宮殿内においては、一人一人の側室やそばめを平等に相手することなど出来るわけもなく、そのためソロモンは、金銭や贅沢な暮らし、欲しい物を手に入れることによってしか、その関係性をカバー出来なくなっていたと思われる。そのため宮殿内では、王の恩寵とは、真の神への謙遜な信仰やその品格によって得られるものなどではなく、自らの欲しいモノを王に要求して手に入れること、特に異教の国から来た者たちは最初から真の神に対する信仰心などなかったので、ただ自らの欲するものを要求し続けた。その結果、バアル像やアシェラ像をはじめ、異教の偶像が国内に造られるようになり、彼女らの要求に従って、ソロモン自身も次第に偶像礼拝に手を染めてゆくようになる。


だからこそレハブアムは、父の愛に飢え、また偶像崇拝者の母の姿を見て育った。また自分の置かれている環境が、自分ではコントロールできないものであるからこそ、複雑な思いの中でそれらを肯定し、歪んだ倫理観と信仰心の元、成長していった。

そしてソロモンの死後、レハブアムは自らが南ユダ王国の王となった時、偶像礼拝者であった母の影響からか、自らも進んで偶像礼拝に勤しみ、父の影響から60人近い妻をめとり、特に偶像礼拝者の妻を愛した。そのため偶像礼拝の儀式においても、神殿娼婦だけでは飽き足らず、神殿男娼まで取り込んで、父ソロモンが犯した何倍もの罪を、主の前に重ねていった。

また国の舵取りにおいても、彼は物事の本質を見極める目、民の話を聞く耳、正しき事を語る口を持たなかったために、国政の大事な場面でも、父ソロモンに仕えて来た長老たちの声に耳を貸すことなく、自分に仕えて来た宮殿内の掃き溜めのような若者たちとの話し合いの中で国の決定を行い、大きな間違いを犯すことになる。

そしてその失敗を、北イスラエル王国の王として立てられたヤロブアムに糾弾されることとなった。これが『家系の罪』である。アルコール依存症の父親を持つ子どもが、その痛みの中で散々苦しんで来たにも関わらず、成長し大人になると、自分も同じようにアルコール依存症になってしまうと言うように、父親の罪、祖先の罪は、主によって断ち切らない限り、子供の中で、子孫の中で繰り返し展開されてゆく。南ユダ王国における偶像との戦いは、このように始まってゆく。


ピリピ3章19節に偶像に関する聖句があるのだが、『彼らの神は、彼らの欲望である』とあるように、偶像とは、そもそも人がつくるモノ、人の欲望が作りだすものである。そして人の欲望によって造られた神は、造った人と同じように、欲望に満ちた神となる。だからキリストがその十字架の死と復活によって、人にいのちを与え、自由を与え、愛を与え、喜びを与えられた『寛容なる神』であるのに対して、それは人に対して『要求してくる神』となる。だから偶像の神は、人の欲望に応える代わりに、人からも自由や喜び、愛、そして「いのち」を奪ってゆく。それが偶像礼拝という悲劇なのだ。


その結果、主は南ユダ王国にエジプトが侵攻することを許された。主はその愛する者を懲らしめるように、レハブアムがその痛みを通して真の神に立ち返るようにと、レハブアム王の第5年の時、南ユダ王国にエジプトの王シシャクがやってきた。それまで難攻不落の王国として立ち続けたイスラエル王国も、主への信仰を失い、偶像に走ったために、2つに分断され、外交的に力を失い、内政的にも腐敗していた。そしてレハブアムは、主の宮の金銀から王宮の財宝まで、何もかもが奪われた。挙げ句の果てには、ソロモン王が作った金の盾も失い、レハブアムはその代わりに青銅の盾を作った。つまり金から銅に、成り下がったというわけだ。

現在の日本においても、同じことが言えないだろうか。。。


明治維新の時、日本は黒船、大地震、飢饉という三大苦の中にあっても、知恵を用いてその難問に立ち向かい、国難を乗り越えてきた。また先の大戦においても、日本はすべてを犠牲にして、アジア諸国と自分の国を、欧米列強の植民地化の波から命がけで守ろうとした、より良い未来を築くために。つまり私たちの先人はみな、日本の未来のために戦って来た。その結果、私たちが、今ここにいるのである。


しかし今の日本はどうであろう。岸田首相になってからと言うものの、日本はこれまで以上にアメリカの隷属国家、『持てる1%の者たち』のATMに成り下がり、政治家は国を守るよりも、自らの権益と立場を守るために国民を犠牲にし、日本を切り売りしながら、この国が壊れるまで、売国政策を続けている。


そしてそれが国にとって有害でしかなく、何の益にもなっていないことは、これまで国の政策で散々経済的にも物理的にもサポートをしてきたウクライナが先日、感謝を示したい31の国へ、という動画を公式に発表した際にも、なぜか日本には感謝の言葉が一つもなく、その代わりに借金ができた際には、日本がその連帯保証人にされているという何の国益にもならない隷属ぶりからも、それは窺える。


すべては、コロナパンデミックから始まった。。。


そして今日本の中で起こっている悲劇は、ワクチンという偶像に囚われたことによって起きている健康被害である。なぜなら日本という国だけが他の世界とは違って、ワクチンという偶像を信じ、それによってすべてを奪われ、これからもさらに奪われようとしている『ワクチン敗戦国』だからだ。。。ダビデ王、ソロモン王、栄華を誇ったイスラエル王国でさえ、偶像礼拝の罪によって、国は衰退し、分裂し、王(レハブアム)が変わっても、さらなる罪を犯し続け、気がつけば国は金の国から銅の国へと成り下がり、あっという間に先進国の一員から衰退国へと成り下がってしまった。。。日本も同じである。


私たちは、この2年間『コロナワクチン』という偶像化されたモノを善いモノであると信じ込まされ、無批判にそれを受け入れて来た。しかも何度も何度も受け入れて来た。先に話したように、偶像は『要求する神』である。そしてすべてを奪い去ってゆく神なのだ。だから一度でもその要求を許せば、何度も何度も際限なく要求してくる。そして奪い去ってゆく。それが偶像の神なのだ。だからワクチンという偶像は、私たちの健康を要求し、生活を要求し、家族を要求し、人生を要求し、命までも要求してくる。そしてもし私たちがそれを許せば、全てを奪い去ってゆく。


つまり私たちは政府のワクチン政策に乗った結果、ワクチンという偶像を信じ込まされ、受け入れ、接種を繰り返してきた。その結果、たくさんの大事なモノが奪われただけではなく、気が付けば国もまた衰退の一途を辿っている。


ソロモン王は晩年偶像礼拝の罪を犯したが、彼は伝道者の書の最後には、『結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。』と言っている。ソロモン自身も、自分の人生を振り返り、心に痛みを感じていたのだろう。自分が犯した罪が、主の怒りに触れたこと。親として、すでに終わっていること。結局自分は、息子であり、次期王位継承者であるレハブアムに一体何を残せたのだろう。すべては不完全なものでしかなく、すべては空の空である。ソロモンは主に赦しを求める悔い改めの祈りと共に、もう遅いかも知れない。。。でも自らに言い聞かせるようにして、また自らの子孫に語りかけるようにして、伝道者の書にその言葉を書き残した。


そんな中、エジプトからの侵攻によって、ソロモン時代より蓄えられていた全ての財産を奪われながらも、レハブアムは『主は正しい』と宣言する。(2歴代史12章6節)そこには本来、主を愛し、主を信仰する上で、不必要なものがどんどん削られてゆく中で、自らの過ちを認め、主を正しいとする者の姿があった。


元々生まれたこと自体が罪の結果であるかのような、そんな環境で生まれたレハブアムは、父の愛情に飢え、物心つく前から母親の影響で偶像と共に歩んで来た。もちろんダビデ、ソロモンと言った先代の王たちの信仰や、創造主なる神のこと、イスラエル民族の歴史も知っている。でも実際に自分がその信仰の中に生きていなければ、聖書の話も、ただの空想話になってしまう。


しかしソロモンが伝道者の書の最後で語った言葉の一端は、レハブアムの心の中にもあったのだろう。親として、すべてが手遅れになったその先でも、主にある希望の言葉は、生きて働くからだ。


だからレハブアムは生死を分けるエジプト軍との戦いの中で、子供時代より続く金銀や偶像に満ちた王国の光景や、ソロモンの金の盾が、敵軍の侵攻によって奪われ失われてゆく中で、自分にとって本来要らなかったそれら一切のモノが取り除かれた時、その想いは父ソロモンが残した信仰の言葉へと向かってゆく。そしてレハブアムは罪人である自らに固執することなく、声高らかに『主は正しい』と宣言する。それこそが人間にとってのすべてであるからだ。


このレハブアムの信仰告白に対して、主は南ユダ王国を滅ぼすことなく、エジプトの侵攻を収束させ、彼らに平穏な時代を与えられた。事実、主は彼らに対して『救い』を与えると約束した。なぜならユダに良いことがあったからである。私はここに希望があると信じている。手遅れであることはない。もし私たちが主を認めるならば、主にある希望の言葉は、生きて働くからだ。


だから、今こそキリスト者が立ち上がって、真実の言葉を伝えることが必要なのだ。たとえ日本の教会が、神の国が、ワクチンという偶像の波に飲み込まれつつあるとしても、全てが手遅れになったその先においてさえ、主の言葉は生きて働くからだ。


しかも主はレハブアムの信仰告白に対して「救い」を与えると約束した。これは南ユダ王国の救いであるのと同時に、レハブアムの霊、心、体の全体性の回復としての救いでもあるだろう。


このようにレハブアムの物語は回復の物語である。南ユダ王国の回復の物語は、3代から4代をかけ、2歩進んでは1歩下がるのように、主へと向かってゆっくりと、しかし確実に進展してゆく。だから大丈夫。今からでも遅いことはない。主にある希望の言葉は、生きて働くからだ。私たちは今日からでも出来ることがある。主に期待せよ。主はすべてを益へと変えてくださるからだ。



レハブアム以降の南ユダ王国の物語。。。


その後、残念ながらレハブアムは、一時的に悔い改め、主の憐みを得たものの、信仰によって国を改革するまでには至らず、父ソロモンの意思は継いだのかも知れないが、偶像礼拝者である母マアカとの関係にメスを入れることは出来なかった。そしてその霊的改革の仕事は息子であるアビヤ、そしてその息子アサに託されてゆく。


アビヤもまた、その始まりは偶像礼拝者である母と共にあった。父レハブアムは18人の側室と60人のそばめがいた中で、最も愛した妻がマアカと言うアモン人だった。彼女は南ユダ王国にアシェラの像を建て、偶像礼拝に勤しむ女性だった。そのため子どもであるアビヤもまた、母と共に偶像と共存する道を歩むことになったが、それは彼にとって喜びではなく『痛み』だった。


そんなアビヤの時世に、北イスラエル王国が攻めて来た。レハブアムの時代より、北イスラエル王国との間には争いが絶えなかったが、この時もアビヤは自国40万の兵に対して、80万という倍の兵よって戦いをしかけてきたヤロブアム軍を前に、父レハブアムが窮地の中で『主は正しい』と宣言したように、彼もまた、ピンチの中で自分こそ『ダビデの子』であるというアイデンティティに立ち返り、『主こそが私たちの神である』と宣言し、自分の国を『主の王国』と呼んだ。そしてアビヤはヤロブアムの偶像礼拝の罪を公然と糾弾し、すべてを主に依り頼んで戦いに臨んだ。


これはアビヤとヤロブアムの偶像に対する思いの違いを明確に示すものだった。アビヤは少なくとも南ユダ王国に巣食う偶像文化を良いものとは思っていなかった。彼にとってそれは家系の罪として引き継いでしまった、否定しがたい『痛み』でしかなかった。


しかし民の関心を引くために、金の子牛を国の要所に設置したり、祭司の職を金で売り買いしたり、また自分の都合で祭儀の時を定めるなど、ヤロブアムにとって偶像とは民をコントロールするための手段であり、彼は自分で作り出した偽りの宗教のリーダーだった。もはや自分が神であった。ここに両者の真の神に対する『信仰』の違いが著されている。


だからアビヤはその痛みを胸に抱きつつ、その痛みに浸食されながらも、ダビデ、ソロモン、レハブアムという先達が命がけで守り通して来た『生きて働かれる神』に望みを置いた。だからアビヤは朝夕ごとに主に捧げものを捧げ、香をたき、祈りを捧げ、主の戒めを守っていたと、第二歴代誌13章に書いてある。私たちはここに南ユダ王国の霊性の回復のしるしを見ることができる。


これと同様に、私たちは悪意のある一部の者たちが、偶像を用いて作り出す虚構の霊性、歪んだ土台、偽りの安心感に対して違和感を覚える者である。だからたとえ泥の様に流れ込んでくる偶像の圧力に、時にうろたえたとしても、また痛みを負ったとしても、私たちの希望はあくまでも主の中にあることを忘れてはならない。救いはそこにあるからだ。


このように私たちの戦いはいつも痛みと共にあり、多勢に無勢の中で展開されてゆく。大事なことはどんな状況であっても、主を認め、また自らの罪を認め、再スタートすることである。晩年のソロモンがそうであったように、またレハブアムがそうであったように、そしてアビヤがそうであったように。。。


第1列王記15章、主はアビヤに対して、悔い改めの人ダビデ の信仰のゆえに『ひとつのともしび』を与えられたとある。この『ともしび』とは、南ユダ王国を長きに渡って浸食してきた偶像から民を立ち帰らせ、人々の霊と心と体を主の元へと導くために立てられる次世代の王『アサ』のことである。


事実、アサは王になると、南ユダ王国内に建てられたすべての石や木でできた偶像を破壊し、アシェラの像を川で焼いた。また民が律法に立ち返ることが出来るように、民を教え、導き、偶像推進者であり、偶像礼拝者であるソロモン時代からの因習を引き継ぐ自身の祖母でもあるアモン人ナアマを糾弾し、彼女を要職から外し、その権限と力を王国から排除した。


それによって、南ユダ王国から偶像による影響とその力が排除され、民がこれ以上、偶像を求めることがない様に、また誤った偽りの文化や習慣に立ち返ることがないように、アサはその信仰心によって、南ユダ王国に『霊的改革』を行った。


そしてそれはソロモン王より始まった霊的堕落という『家系の罪の連鎖』に、一つの終止符を打つものとなった。そのため、主はアサをもってして、かつてのダビデ 王のように、『主と心がひとつになっていた』と評価をし、南ユダ王国には、かつての平和な時代が訪れた。。。

しかもこのアサの偉業である宗教改革は、なによりも『悔い改め』によって成された一大改革であった。かつて悔い改めの人として主に愛されたダビデ王は、バテシェバとの姦淫の罪をはじめ、自らに罪が示されれば、喪に服し、服を引き裂き、断食すると共に、朝から夕まで主に悔い改めの祈りを捧げていた。


そしてアサ王が祖母であるアモン人ナアマの2世代に渡る偶像礼拝の推進事業を放棄させ、その権力のすべてを奪えたのは、あくまで霊の力によるものだった。


人は肉の力によってではなく霊の力によって主を認め、主を信じ、その栄光の光の中に、その身を委ねるからこそ、自らの内側に巣食う偶像を、主の光によって識別し、悔い改めの祈りと共に、それを排斥することができるのである。アサはそれを実行した。


このように、レハブアム、アビヤ、アサという世代継承の中で、南ユダ王国は一進一退しながらも少しづつ主への信仰を回復し、アサの時代になって、ようやくかつてのダビデ 王のように、主と心が一つになってゆく。

つまりその歩みは一歩一歩かもしれない。しかしそこからしかすべては始まらない。どんな家系の罪の連鎖の中にあったとしても、主を正しいと認め、主に対する信仰によって自らを被害者とせず、罪人として認識すると共に悔い改め、自らの人生を主に委ね、全き神の赦しを得て、キリストの十字架を見上げることによってしか、新たなスタートはないからだ。


しかし残念なことにアサ王もまた平穏であった晩年、ヤロブアム王朝に続き北イスラエル王国の王となったバシャの進軍に対して、一度信仰によって主の宝物蔵に捧げていた金銀を、かつてのソロモン時代の敵国の王に献上することによって同盟関係を結び、危機を脱したことがあった。しかしそれは、この世的な政治であった。そのため預言者にそのことを指摘されるとアサの心は固くなってしまった。


私たちは何もない時の方がより信仰的である。すべてを手に入れた晩年に、多くの王が罪を犯すのは、手に入れたすべてのものをもう一度手放すようにと、アブラハムがイサクを捧げたように、主がその信仰を試されるからである。それはアサも同じであった。


何もない時に捧げるよりも、持っている時に捧げる方が難しい。私たちもまた、今の現状が、今の生活が、このまま未来永劫変わることなく平穏に続くことを望んでいる。しかし世界はすでにコロナ禍第2章の真っ只中にあり、私たちはアサの信仰を必要としている。


特に置き換え神学においては、ディスペンセーション主義神学のように、今は終末時代、終わりの時が近い時だからこそ、私たちはいついかなる時に、携挙の恵みに預かるかも知れない者として『どうか主よ、来てください!!』と、主を待ち望み、主が来られる日を肌感覚で祈り求める信仰に対して、私感ではあるが置き換え神学のそれは、いつかはやって来る遠い日の終末観であり、その焦点はより日常的なことに対して主の働きを祈り求めるものであるように思う。


このように、今を終末時代と捉えるか、それともいつかはやって来る遠い日の出来事として捉えるかによって、この世の事象へのアンテナの貼り方も緊張感も変わってくるだろう。別にワクチンやその他の現代的事象を無理やり終末論と結びつける必要性はないにしろ、それらすべてを陰謀論と片付けてしまうのもまた、この世の者と同じではないだろうか。バランスが求められている。両方必要だろう。


私は決して今のワクチンと獣のしるしを同等に扱わない。なぜなら今は患難時代ではないからだ。だからそれらの事象を全て黙示録から語ろうとは思わない。しかし私は現代的事象から見て、患難時代が近くまで迫っていると思っている。だからこそ『目を覚ましていなさい』という主の言葉がリアリティを持って迫ってくるのだ。


話は戻るが、アサはその一件以降、足に病いが与えられた。しかし彼は主に祈り求める以上に、医者に依り頼むようになってしまったため、最後は病死するという悲しい結果を迎えることになる。


なぜ医者に依り頼んだことによって病死してしまったのか?


医者や薬に頼ることは悪いことではない。医療は神が人に与えた英知と、人の病いを癒したいという医学者の思い、そして先人によって積み重ねて来た医学的知識と経験によって成り立っている。それは良いものだ。しかし救い主ではない。


私たちの霊と心と体を最終的に癒してくださるのは、創造主なる神であり、癒し主なる神である。だからこそ私たちは、知恵を持って医療に頼りつつも、より主に頼らなければならない。


そしてもし自らの選択が間違っていたならば、私たちは心を固くすることなく、主に依り頼み、最善の道へと向かって、今こそ方向転換する必要性があるのではないか。アサ王の晩年の病死は、彼がダビデのように悔い改めの人であり、偶像の国を立て直した者であったからこそ、厳粛なをものを感じさせる。このように『回復』の営みとは、一進一退を繰り返す中で、主に依り頼む道を選んでゆくことであることを思わせる。


さて、アサ王に続いて、その息子ヨシャパテが王になった。南ユダ王国のレハブアムから始まって、4代目の王である。


彼はユダの町に城壁を築き、北イスラエルとの絶え間ない戦いの中にあった祖父レハブアムや、父アサの人生の教訓に応え、自国を敵の脅威から守り、また飢えに備えて備蓄を行い、彼は国を守るためにたくさんの勇士を抱えていた。さらには町々に祭司やレビ人を置き、民に対してもモーセの律法を再教育すると共に、アサ王の時代には完全に取り除かれることのなかった『高きところ』も一度は取り除かれ、南ユダ王国は主にある王国として、民にあるべき信仰と神の言葉による一致を、そして安全と安心を与えた。

だから主はヨシャパテ王を大いに祝福した。ヨシャパテ王の時代には、これまでの偶像礼拝のような内政上の戦いもなく、レハブアム、アビヤ、アサと言った歴代の王の痛みや、その戦いの歴史もまだ肌感覚で知っているために、彼は何が一番大事なことなのかを知っていたからだ。


イスラエルの歴史を司る創造主なる神に目を止め、何もなかった時代から今に至るまで、その守りと導きと大いなる愛を心に刻み、どんな時も主を認め、主を愛し、主に依り頼むことが大事であることをヨシャパテは知っていた。逆に少し人が良すぎたぐらいだ。


この様にヨシャパテはアサ王が復興した王国をそのまま引き継いだので、その全ての労力と経済を国の安全と民の信仰確立のために用いることができた。だからこの時代にあって、南ユダ王国は、他のどの国からも戦いをしかられることがなかった。それどころか逆に周辺国から貢ぎ物が贈られるほど、並外れて強大な(2歴17:10−12)、かつてのダビデやソロモンの時代を思わせるような、一大王国へとなっていった。彼は主を愛し、全ての民は主に対してその目を向けて、その御声に聞き従い、南ユダ王国は遂に名実共に信仰立国となった。(2歴20:12−13)


それに対して北イスラエル王国は、王朝が次々に入れ替わり、その内側は裏切りや謀反による殺害の連続であった。ヤロブアム王朝に続いてバシャ王朝、そしてオムリ王朝、すべての王が偶像礼拝とその儀式を続けて悔い改めることがなく、その背信性は代を重ねるごとに酷くなってゆく。その罪の連鎖は、最終的にオムリの子、アハブ、そしてその妻イゼベルという『最悪の道』につながってゆく。ここに南ユダ王国との違いがある。


この南ユダ王国と北イスラエル王国の戦いは、この戦いが『主の戦い』であり(2歴20:15)『霊の戦い』であることを示している。



私たちはどうであろうか?


今回のコロナパンデミックの失敗から言えば、それはコロナワクチンという遺伝子改変ワクチンを、日本中のほとんどの人たちが、盲目的に信頼してしまったことだった。


それは人がメディアという『偶像』を信じ、権威者という『偶像』を信じ、またワクチンという『偶像』を信じ、人を恐れ(同調圧力)=『偶像』、それらを受け入れてしまったからに他ならない。その結果、本来ならば自分を守り、自分の大切な人を守る代わりに、自分を傷つけ、自分の大切な人を傷つける結果となってしまった。


しかしこの政府主導のワクチン攻勢も、クリスチャンの平均年齢が62歳、信徒数の3分の2が60代以上という超高齢化した現代日本の教会において、徹底したメディア統制とワクチン肯定と、目に見えないコロナの恐怖を煽られながら、大事な人を守るためにワクチン接種を、という大義名分まで掲げられては、どちらにせよ、責任のある立場の方ほど、その判断は難しかっただろう。またその意味において、早い段階で正しい情報を見極め、知恵と愛を持って人々に真実を語ってこなかった教会の責任も、大きいと言わざるを得ない。


事実、一部のキリスト教情報誌やその媒体は、この世と調子を合わせた論調でワクチン推進派を擁護する情報しか流してこなかったし、また反対に陰謀論派の方もまた、反ワクチンの立場から接種者の切り捨てにも似た論調で、結局は自らの聖域化と安全地帯からの投石を繰り返していたように思う。それは彼らが互いにパウロの言うところの『知識のある者』(1コリント8章1節2節)であり、彼らは自らの知的満足は得られたかも知れないが、そこに愛や救いはない。


だからこそ、この戦いはすでに接種者、未接種者というカテゴリーを超えて『神の国』全体を意識した霊的な戦いであるのだから、知恵と愛を持ってこの問題を取り扱っていかない限り、これから先私たちは、すでに開けられてしまった深い溝を、ただ不可解な顔をして眺める以外に道はないだろう。それは分断であって回復ではない。


だから互いに罪人として、ヤロブアムの道に歩まず、悔い改めと共にレハブアムの道を歩むならば、主は必ずその道を祝福し、すべてを益へと変えてくださるだろう。晩年のソロモンが伝道者の書を書いたように、今こそキリスト者が立ち上がって、悔い改めの祈りと共に、愛と知恵を持って真実の言葉を伝えることが必要とされている。たとえ日本の教会が、ワクチンという偶像の波に飲み込まれつつあるとしても、全てが手遅れになったその先においてさえ、主にある希望の言葉は生きて働くからだ。

レハブアムと南ユダ王国に主の救いが与えられたように。。。

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