(Ⅰ:熱海市土石流編)
光る泥だんごを作ろうと思い立ったのは、もう3年近く前のことだ。2019年11月の
金継ぎアート展示会も終わり、次に何か作ってみたいものを探っていたところ、光る泥だんごを見つけた。 金継ぎの時もそうだったが、私はなるべく日本由来、日本オリジンのものを選ぶことにしている。海外でも”HIKARU DORODANGO"として紹介されているぐらい、これもまた「侘び寂び」に通じる感じがあって良いと思った。
しかし当時は、まだ始めるには何か足りないと思い、結局やらず仕舞いで終わった。しかし心の中にはいつも泥だんごがあって、事あるごとにいつか始めようと思っていた。
そんなこんなで2021年になり、日本に帰国してからすぐ大雨が続き、熱海市で大規模の土石流があった。被災場所がすぐ近くの山だったので、帰国後すぐ慣れない新居で、びしょ濡れになりながら台風対策を行いながら、テレビをつけると映っている被災地がすぐそこだったので、そこには不気味なリアリティがあった。結局大雨が降れば崩壊するような、不適切な量の「盛り土」が土地所有者によって不用意に放置され、結果、山下にある民家や多くの人の命を奪う結果となった。
人の命を奪ったのは土石流である。それは怒号のように押し寄せて来る、凶器と化した土であり石であり泥であった。人や人の作ったものは、その力の前では全く無力であった。このように自然とは時に恐ろしいものであることは、2011年の東日本大震災を始めとする大型地震やそれに伴う津波の被害によって、日本人はよく知っている。そしてそれらはいつも私たち人間の想像を超えたところから突然やってくる。
しかし今回この盛り土事件において注視すべきことは、その危険性をずっと前から知りながら、そこを残土処理場として、要らなくなった土を捨て続けていただけでなく、その不自然に積み上がった土を適切に処置する代わりに、そのまま固めておくために毒性の化学物質を散布していたことである。それが去年の大雨で一気に流れたのだ。。。人間たちの業である。それが巨大な土石流となって人や家を破壊するだけでなく、山下の住民の生活用水にも影響を及ぼしたことだろう。
この問題は1年経った今でも責任の所在が曖昧にされ続け、遺族たちによる訴訟活動が続けられている。
そもそも土や石や泥は、神さまがこの地球を創造する時に造られたものである。土があるからこそあらゆる生態系や植物が存在し、また豊かに成長する。私たちはその恩恵を受けて生かされている。
また土というのは、岩や石などが川に流されて砕けて粒子化したものや、長い自然の営みの中で作られた粘土などに、落ち葉や動物の死骸などの有機物が微生物によって分解され、混じり合ったものである。面白いことに、土はその構成要素の90%以上が人間を構成している成分と同じであることから、神さまが人を造られる際に土を用いられたことは真に理にかなっていた。そして神さまはその土から造ったアダムの型に、命の息を吹き込むことによって、アダムに霊の命を与えられた。
このように人という存在は、神の御手のワザによって「土」から造られた。ヨブ記10章にもその記載がある。中略するが「あなたの御手は私を形造り、、、あなたは私を粘土で造られました」と書いてある。そしてそれは丁寧に、とても丁寧に、愛を持って造られたのだろう。神さまは7日間の創造のワザの中で最後に人を造られた。そしてご自身が造られたすべての被造物を見て、非常に良い、と言われたからだ。そしてそれは泥団子にも当てはまることである。
日本人で海外に泥団子を紹介している第一人者の方の言葉がいる。彼女の言葉によると、最初は土と水で出来たただの泥のかたまりが、時間をかけて丁寧に磨き続けてゆくと、キラっと光る瞬間がある、と言う。そしてその光はさらに広がってゆき、泥だんごは光る泥だんごへとなってゆく。そのプロセスを彼女は「命が入った」と表現している。事実私たちは泥だんごを作ることを通して、神さまの御手のワザと、その愛の深さを覚えることができるだろう。
なぜなら目ための地味さとは裏腹に、泥だんごを作る過程は、集中力と丁寧さと忍耐さが求められる。またその作業において手の感触が大切になってくる。100回も200回も、何度も何度も両の手で優しく包み、摩り、撫で、磨いてゆく。手が泥まみれ、土まみれになって一つの団子をただ丁寧に作り上げてゆく。この現代社会において、特に大人は自分からは決してやらない作業であろう。しかしその中には、土の匂いや感触だけではなく、不思議な懐かしさがあって、あたたかさがあって、優しさがある。つまり心の癒しがある。そこもまた金継ぎと似た要素なのかも知れない。非常に不思議な魅力があるのだ。
ある意味それは、人が土に触れることの中に、ある種の懐かしさや近しさがあるからかも知れない。なぜなら土と人とは、その創生のはじめの時から今に至るまで、決して離れては生きてゆけない深い関係性の中にあったからなのだろう。事実アダムは土から造られたほか、エデンの園から追放された後も、土地を開墾し、種をまき、自らの糧を得なければならなかったからだ。つまり創世の頃より人は土から離れては生きていけない存在だったのである。
しかし現在、人は繰り返し行われる核実験や原発事故による土地の汚染を始め、工業化と科学技術の発展、また土地に対する理解と配慮のなさから、神の恵みとして与えられているこの豊かな土地を汚し続けて来た。実際灌漑農法による塩害が、今や世界の5分の1以上の土地を駄目にしている。そうして劣化した土壌は不毛な土地となり、微生物も住まなくなる。命のない土壌となる。今やそういった不毛な土地が世界の3分の1を占め、そのため「新人世」という現代思想が生まれてきた。それは人間中心主義によって汚染され続けて来た環境問題を思想化したものである。
人はそもそもオリジナルクリエーターである神さまによって土から造られた被造物であり、この地球という被造物の中に生きている。しかし時に、人はこの地球という被造物が、豊富な資源を無料で搾取できる無個性で都合の利く便利な箱のようなものだと思っているところがある。
だから人は土を掘り起こしては開発し、土地を搾取して、資源を元にいろいろな物を作り出してゆく。しかし人はその過程の中で、自らが「土」であることから離れてゆく。その結果として地球という「被造物」の生体バランスが崩れれば、今度は気候変動だと騒ぎ出して、神さまからの恵みである大地を持てる者が支配して、挙げ句の果てに、地球を捨てて火星への移住を考えてみたり、人口が多すぎると人口削減を考えてみたりする。。。
私はアートが好きである。基本何かを作ることが好きだからである。それはこの宇宙の創造主である神がアーティストでありクリエーターであるように、神に似せて造られた人もまた、作ることに喜びを覚える者だからである。だからこそ人の歴史は発明の歴史であり、それによって私たちはその恩恵に預かって生きて来た。多分人がモノを作る時、その最初の動機や情熱の多くは純粋なものであろう。しかし問題は、いつの時代も、それをどう用いるかなのである。
どんな理由があるにせよ、例え純粋な気持ちで、良いものを作ろうという思いで、時間をかけて作ったものであったとしても、人が創造主である神から離れ、また自らの「土」から離れ、自らを神として、己の罪のために神さまから与えられている恵みを利用するならば、地球を汚し、土地を汚し、共に生きている共同体を傷つけ、その命を奪う者となってゆく。
つまり人がその事実から離れ、自らを神とする時に、あらゆる問題が発生する。去年、熱海における土石流事故を間近で体験した時、私はそんなことを思った。だからこそ私は3年越しに、熱海の地元の土を使って、光る泥だんごを作りたいと思った。
そしてここ2ヶ月、時間を見つけては地元の土を採取し、泥だんごを作っている。泥だんご自体はもう10年以上前にひとつのブームが終わり、コロナ禍におけるステイホームの中、現在においてはお手軽キットでおうちで作ることが主流となっていて、公園や学校の校庭で作る姿はほとんど見かけなくなった。また最近では左官の技術を使ったより光度の高い泥だんごが作られるようになり、昔ながらの素朴な造り方はあまり見なくなった。
そのため現在は泥だんごの作り方を始めとする細かい情報も少なく、日本と外国、また東日本と西日本、そして公園や学校の校庭においても、泥団子に適した土や砂や水の配合料が変わってくるので、全てが同じようにできるわけでもなく、現在あらゆる方法を試している。
私は当初、泥だんごに色を塗って、そのカラフルな多様性を、人の多様性のように感じていたのだが、その後、土自身に興味を持って調べてゆくうちに、日本各地、また世界各地には、絵具にはない様々な土の色があり、その素朴な色合いに引かれて、今では熱海の土を始めとして、いろいろな土地の土を集めて作っている。
「光る泥だんごと割れた泥だんごーコロナ禍第2章におけるこれからの神の家族のあり方について考えるーコロナワクチン編」に続く
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