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真の協力者であること



序:

はい、みなさん。おはようございまーす。今日はね、「真の協力者であること」というタイトルで、お話しをしたいと思います。


すっかり秋になりましたよね。少し涼しくなりましたし、外を見ればですね、田んぼも、もう穂の色が、きれいな黄金色になっていますよね。


秋と言えばですね、芸術の秋とか、読書の秋とか、運動の秋とか、食欲の秋とか、いろんな秋がありますけれども、秋って言う季節は、気候もいいので、何かこう、じっくり腰を据えて、何か取り組んでみるのに、適した季節なのかも知れませんね。


今日はそんな中から、特に「芸術の秋」にフォーカスを置いて、聖書で言うところの「真の協力者」とは一体何なのか?そんなところをですね、共に見てゆきたいと思います。


では始めに、この絵を見てください。これは誰でしょうか?


はい。ゴッホですね、ゴッホの描いた自画像です。この作品は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが1887年にフランスで描いた作品ですね。もうこの独特のタッチが、ゴッホって感じですよね。


今ですね、東京にある「角川武蔵野ミュージアム」って言うところで11月27日まで、ゴッホ展やってるんですね。

こんな感じです。


これ、私たちも違う場所ですけど、見に行ったことがあるんですが、巨大スクリーンと映像を使ったですね、とても面白い斬新な企画の展示会だったので、ご都合の良い方は、見に行ってみると面白いかと思います。


それでは次に、この絵なんですけど、、、これは誰でしょうか?


描いているのはゴッホです。でも誰を描いているんでしょうか?


これはですね、先ほどのゴッホの自画像とすごく似てるんですけども、こっちはですね、ゴッホなんですね。テオ・ヴァン・ゴッホと言います。


今日はですね、この二人の話しから始めたい思います。


ゴッホの弟のテオと、兄のヴィンセント・ヴァン・ゴッホはですね、祖父と父が、聖職者や牧師であったという経緯から、二人とも子供の頃から神さまのことをよく知っているクリスチャンでした。そして大きくなると、兄は「画家」に、そして弟は絵を売る「画商」となりました。


兄のヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、現在ですね、多分知らない人いないんじゃないかってぐらい、世界的に有名な画家ですよね。彼の絵はですね、本当に独特のタッチなので、一度見ると忘れることができません。本当に印象深い絵を描くわけですね。


これは彼の描いた「ひまわり」という作品なんですが、日本の企業が1987年に58億円で落札したものです。このように彼の描く絵はですね、現在美術界で、何十億、何百億っていう価値があります。


27歳から画家になって、37歳で亡くなるまでの10年間、彼はたくさんの絵を描きました。約2000点ぐらいの絵を描いたんですね。とても多作でした。


でも実際、彼の生きている間に売れた絵って言うのは、一枚だけであったと言われています。2000枚も描いたのにですよ。しかもその落札価格も、何億円とかじゃないんですね。当時のお金で400フラン、日本円に換算すると10万円ぐらいの金額でした。


10年間に渡る画家としての人生の中で、たった1枚の絵が売れて、それは10万円ほどであった。現在だったら彼の絵は何十億、何百億っていう価値がありますから、それこそ億万長者になってるわけですが、当時の彼はですね、普通の生活すらままならない、とても貧しい状況にありました。


実際絵なんて描いてる場合じゃなかったんですね。しかしそれでも彼は、絵に情熱を振り注いで、来る日も来る日も描き続けて、10年間で約2000点近い、すばらしい美の功績を、世に残すことができたわけです。そしてその影にはいつも、弟のテオの存在がありました。


テオはですね、若い頃から画商として働いていました。絵を売る人ですね。生活は決して楽ではありませんでしたけれども、画商としては腕の立つ人でした。


だから彼は、当時、売れない画家だった兄のヴィンセントの才能にも、いち早く、気付くわけです。だからゴッホに画家になることを勧めたのも、このテオであったと言われています。


そしてテオは、それからと言うものの、貧しい画家であった兄のヴィンセントをですね、経済的に、また精神的に支えてゆく存在になってゆきます。


兄の絵は、今は認められていない。でも絶対に、彼の絵は、後世に残る名作になる。テオはそう思っていました。だから毎月の仕送りと、何百通という手紙のやり取りを、このテオとヴィンセントは、10年に渡って、行ってゆくわけです。


そしてその中で、数々の名画が生まれてゆきました。


そしてその後、ゴッホは37歳の時に亡くなるんですけども、この弟のテオも、それを追うようにして、次の年に亡くなりました。


つまり彼こそが、世界的に有名な画家であるゴッホにとっての「本当の意味での協力者」であったと言えるわけですね。もしゴッホが、当時からとても有名で、大金持ちであったとしたら、彼の周りにはたくさんのサポーターがいたと思います。


でも絵が一枚も売れない画家であったゴッホの才能を信じて、その苦しい時を共に歩んだ、このテオこそが「真の協力者である」と言えるのではないでしょうか?


はい。それでは続けてですね、今度は「読書の秋」の方に移ってゆきたいと思います。では、この方がどなたか分かりますか?


はい、三浦綾子さんですね。日本で一番有名な、プロテスタントの作家さんです。私もですね、一番好きな小説家の方です。大体ですね、多くの方が、読まれたことがあると思うんですけれども。


三浦綾子さんの作品、読んだことがある方、いますか?(聞く)


何か好きな作品ありますか?(聞く)


はい。いいですよね。


この三浦綾子さんは、非常に分かりやすい文章を書く作家さんなんですね。本人曰く、小学5年生でも分かりやすい文章を書くように心がけていたそうです。


でもその中には人間の罪や、神の赦し、またキリスト者としての証を、その登場人物の人間性や、深い心理描写と共に、素晴らしストーリーで、つづる作家さんなんですね。


そしてこの三浦綾子さんはですね、非常に面白い創作スタイルを取っていた作家としても有名でした。でもそのためには、もう一人のサポートが必要だったんですね。


それがこの方です。


ご主人の三浦光世さんです。

彼はですね、妻の綾子さんが、昔から病弱で、元気になってからも、数々の持病と闘いながら創作活動を行なっていた、その彼女を助けながら、共に多くの作品を作ってゆきました。


そしてこの三浦綾子さんの創作スタイルって言うのは、ご主人の光世さんと、机をはさんでですね、ひざを突き合わして、綾子さんがストーリーを口頭で伝えて、それを光世さんが文章化して、作品にしていたんですね。


こうやって共に座って、綾子さんが小説のストーリーを伝えると、光世さんが、それを受けて「ああ、これだとちょっとこのキャラクターが可哀想だなあ。もうちょっとこうならないかなあ」みたいな感じでですね、会話のやり取りをしながら、物語が進んでゆく。


これをですね、専門的には「コラボレート文学」って言うらしいんですけども、それゆえにですね、三浦綾子さんの書く作品って言うのは、当時の他の作家さんに比べて、とても開かれた、人間を丁寧に描く、作家として、評価されて行ったわけです。


つまりここにもですね、ひとりの「協力者」がいたわけです。


それではですね、今日の本文に入ってゆきたいと思います。


本編:


まずは2節からですね。

まず初めにこの箇所の背景から話しますと、これはピリピ教会の話なんですね。パウロという使徒が、ピリピという場所にある教会に向けて手紙を書いた。


そこには「ユウオデヤ」と「スントケ」という二人の婦人がいました。しかしこの二人の間に、対立と不一致の問題があった。


この二人はクリスチャンで、有力な女性指導者だった。そしてかつては福音宣教のために、パウロと共に働いた同労者だったんですね。しかしその二人の間に、何か問題があったというわけです。


詩篇の133篇1節

という御言葉があります。


主をご中心として、主を愛する者たちが、共に集まり、一致を保ち、互いの弱さを補いながら、協力し、交わりを持つことは、とても楽しいことなんですね。そこに神の国がある、と聖書は言っています。


そうですね。


しかし時として、人間の持つ自己中心性や、罪深さのために、国と国、民族と民族、家庭や教会においてさえ、対立や不一致が起こることがある。ピリピの教会も例外ではなかった。


だからパウロは、ピリピの教会の問題に対して、これに対処しようと、このように言っています。


3節

ここに『真の協力者』とあります。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください、と言ってるわけです。


本来教会とは、キリストを頭として、集まっているその一人一人も、キリストの体の器官であって、お互いに支え合う存在なんですね。


だからもし互いを傷つけ合うようなことがあるならば、それは個人としての痛みであるのと同時に、教会としての痛み、神の国としての痛みなんですね。


だからその痛み、苦しみから、彼女たちを助けてやってくださいと、パウロは頼んでいるわけです。


誰に?


「真の協力者」に、ですね。


ピリピの教会にも、長老やリーダーたちがいました。だから本来ならば、こう言った問題は、彼らの役割なんですが、しかしパウロここで、あえて誰か個人にお願いをしているのではなくて、教会全体に向けて、呼びかけているんですね。


つまりそれは、教会の牧師やリーダーでなくとも、主にあって立ち上がる者がいるならば、その人が「真の協力者」になるわけです。パウロはそれを願っていた。


そしてこのあと4節から9節にかけて、そのパウロが願う『真の協力者』の姿を描いてゆきます。それを共に見てゆきましょう。


まずは4節から

このピリピ人の手紙は他の手紙と比べて「喜ぶ」という言葉が、たくさん使われているんですね。だからこの手紙は別名「喜びの書間」とも呼ばれています。


では、ここで言う『喜び』とは一体どういうものなのか?

共に考えてみたいと思います。


例えばこのあいだユニクロで新しい服を買った。ウキウキしますよね。また欲しかったゲームを買った。楽しみですよね。

仕事で新しいプロジェクトを任された。この間行ったレストランの料理が美味しかった。試験でいい点が取れた。また、自分の推しがテレビに出た。いつも買っている自動販売機で当たりが出た。


それは嬉しいことなんですね。そこには喜びがあります。でもここで言っているのは、そういう喜びじゃないんですね。

じゃあ、例えば、私お笑いが好きなんですけど、YouTubeとかで、よく観るんですが、最近だと『チョコプラ』とか『かまいたち』とか、まあ分からない方には申し訳ないんですが、とっても面白いんですね。けっこう笑います。気分転換になる。私の心は喜んでるんですよ。でもここで言っているのは、そういう喜びでもない。


じゃあ一体どういう喜びなのか?


聖書には「主にあって喜びなさい」って書いてあるんですね。

しかも「いつも喜びなさい」と書いてある。


つまり何かを買ったから、何かを観たから、何かを得たから、

HAPPY!!っていう『喜び』じゃないんですね。


もしそうだとすると、私たちは、その喜びのエンジンを燃やし続けるために、絶えず何か外のモノを見つけては、それを消費して、燃やし続けて、頑張り続けて、いつも何かを追っかけている人生を歩まなければいけないからです。疲れますよね。


そうじゃなくて、ここで言ってる『喜び』っていうのは『私たちが神さまとの関係の中に生きていること』によって得られる『喜び』、与えられる『喜び』なんですね。


それは、モノとか環境とか努力とか人によって左右されるものじゃなくて、私たちの心の内側から溢れ出す『喜び』なんです。


そしてそしては永遠へとつながっている『喜び』なんですね。


つまり神さまと共に歩む人生には『喜び』があるわけです。アーメン。

次に5節

主は近いのです、とありますね。


私たちがどう思おうと間違いないなくですね、今の時代は終末時代なんですね。イエスさまが来られる時が近い。ルカ21章には、終わりの時にはその前兆として、何が起こるのかが書いてあります。


民族同士の紛争や世界戦争、大地震や疫病、飢饉など。もうすでに世界各地で起こっていることなんですね。じゃあそんな時代にあって、私たちはどうしたらいいのか?


6節から7節

アーメンですね。


何も思い煩わないで、祈りと願いによって、あなたがたの事を神に知っていただきなさい、と。


神さまは私たちのことを知っています。何でも知っています。それこそ私たちが生まれる前から、私たちのことを知っていますし、私たちの髪の毛の数までご存知なので、私たちが何かを語らずとも、神さまは私たちのことを、私たち以上に、よくご存知です。


じゃあ何でも知ってるんだったら、コミュニケーションしなくていいや、と思ったら大間違いなんですね。親はですね、子どもと話したいんです。


「ただいまー」「今日どうだった?」「別に」じゃないんですね。

私たちの神さまは、私たちのことを愛してくださっている神さまなので、私たちとコミュニケーションしたいんですね。よく祈りは会話だっていいますけれども。だから私たちの話を一番近くにいて、一番よく聞いてくださるのは、神さまなんですね。そして私たちにとって一番良いものを与えてくださる。


先ほど、私たちの『喜び』は、神さまとの交わり、神さまとのコミュニケーションから生まれるものと言いました。


だから私たちは、今この時代にあって、その心の思いや、心配事を、自分の胸に閉まっておくんじゃなくて、神さまとコミュニケートすることによって、それは『喜び』に変えられるんですね。アーメン。


しかも『人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』と、約束してくれてるわけです。


つまりキリストこそが、イエス様こそが、私たちの『真の協力者』なんですね。


だから、この方にあってこそ、私たちもまた、誰かの『真の協力者』となり得るわけです。アーメン。


8節

最後に、日常生活において、良いことや正しいこと、また美しいことを知ること、観ること、経験すること、そして心に留めることを、パウロはここで語っています。


もちろんこれは前提として、『私たちの信仰の創始者であり、完成者であるキリスト・イエスから目を離さないでいなさい』という前提ですが、でも何でこんなことを言っているのかと言うと、

この世界はいま、汚いこと、悪いこと、悲しいこと、間違ったこと、また怒りで満ちているからです。

だから、その中にあってもなお、良いこと、正しいこと、美しいことに、心を留めるならば、私たちの心のうちに、聖霊が、神の霊が、働きやすい土壌が形成されてゆくからです。


たとえば、昨日美しい夕日を見た。今日の富士山はとてもきれいだ。田んぼの穂が黄金色に輝いている。自然を見ていると、そういうことってたくさんありますよね。特に秋という季節は、空気がきれいなので、そういったものを堪能するのに、とてもいい季節です。それもまた、神さまから与えられている恵みですね。


では最後に、こちらの絵を見てください。

この絵はですね、もう誰の描いた絵だか、お分かりになると思いますが、ゴッホの描いた『糸杉』の絵と、『療養院の庭』の絵なんですね。

最後にですね、ゴッホの話をしたいと思います。


2019年、私たちが一時帰国として、日本に帰って来た時に、東京の「上野の森美術館」でゴッホ展がやっていました。


その時ですね、私は初めて、ゴッホ展に行って、彼の人生に触れる特別な経験をしました。


ゴッホは画家になる前、彼の父親がそうであったように、神学校に通って牧師になるつもりでした。彼はイエスさまを愛していました。

しかし神学校の勉強が、ギリシャ語やラテン語、幾何学など、聖書と直接関係のない学びが多かったことから、そこに躓いてですね、彼は神学校を辞めて、その後、伝道者としてですね、炭鉱で働く貧しい人たちのために、身銭を切って伝道を始めました。


炭鉱で働いていた貧しい鉱夫たちと、同じボロボロの家に住んで、衣服もお金も食べ物も、全て彼らと分かち合いながら、彼らに与えてですね、福音を述べ伝えていました。


時に炭鉱っていうのは爆発事故があるんですね。また不衛生な環境だったので、人々の間で伝せん病が流行った時もある。その時にゴッホは、最前線で人々を助けて、その対応にあたりました。実際多くの人がですね、彼を通してキリストと出会いました。


そしてその後、巡りめぐって彼は画家になり、約10年という短い間でしたが、彼は自分の表現に命をかけました。


私も最初、ゴッホ展に行った時、チケットを買うと、50分待ちですと、寒いなか並んで待っていた。その時にはそこまで期待していなかったんですけど、しかし実際に観た時に、特にゴッホが晩年に描いたこの2枚の作品を見た時に、とても感動したんですね。


そして彼の人生に心打たれました。なぜならそれは、私にとって

『美しい経験』だったからです。

それは三浦綾子さんの小説を読んだ時にも、同じでした。とても素晴らしい経験でした。


まとめです。


『真の協力者』であるということ。


それは、神さまといつもコミュニケートして、喜びの中に生きるということ。


それは、自分の想いや心配事を、自分の胸の中に閉まっておくんじゃなくて、主に委ねて、主の平安の中に生きるということ。


そして、神さまから頂いている多くの恵みに、しっかり目を留めること。


キリストがそうであったように、私たちもまた、誰かの『真の協力者』として、パウロがピリピの教会の人たちに呼びかけたように、私たちもまた、主の呼びかけに対して、自分に示されたことを、信仰を持って『応えられる』お互いでありたいと思います。


それでは、お祈りしましょう。


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