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コロナウイルス関連メッセージ「真の協力者であること」

更新日:2020年4月9日


聖書箇所:ピリピ4章2―9節


ピリピ人への手紙


4:2 ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。ピリピ 4:3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。ピリピ 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ 4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。ピリピ 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。ピリピ 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ 4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。ピリピ 4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。

タイトル:「真の協力者であること」

序:

先日ですね、子供を学校に送り迎えするのに、車を走らせていました。信号があったので、止まっていると、隣に大きなバスが止まったんですね。何か視線を感じたので、横を向くと、サングラスをしたマオリ系の方ですかね、運転手の方がこちらを見ていました。何かなと、こちらも目を向けると、彼がですね、急にこちらに向かって、バスの場内マイクを使って、大きな咳をしたんですね。ゴホゴホって。マイクを使って咳をしていたので、周りの車もみんな一斉にこっちを向きました。驚きました。

そしてその運転手は、私に向かってニコッて笑うと、そのまま走って行ったんですけね。その時一瞬、「えっ!?」って思ったんですけど、「え、何それ?」って。

でも、すぐに気がつきました。「ああ、コロナウイルス のことか」と。

私がアジア人だったので、彼は多分私のことを中国人だと思った。新型肺炎ですから、症状としては、咳が出る。まあ簡単に言えば、

「お前らのせいで、こっちが迷惑してるんだよ」といった内容でしょうか。

とばっちりもいいとこですよね。

「私、日本人なんですけど?」って思いました。また、「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの?」とも思いました。そしてですね、私はこの1ヶ月の間に、そういう経験を何度かしました。

ご存知だと思いますが、1月に入ってから、ニュースで連日のように報道されています、中国、武漢発の新型肺炎ウイルスのことですね。


私は主にYouTubeなどでニュースをチェックしていますが、武漢市内に残された人たちは本当にかわいそうですよね。感染者、死者共に膨れ上がる一方で、映像では街の中で倒れている人なども映されていました。大勢の人が病院に押し寄せて来るので、もう医療施設もいっぱいで対処しきれない状態。そこで先日、10日間の突貫工事で、千人以上の患者を収容できる施設を作っているのを見ました。その焦り様から推察するとですね、多分外側に公開している数以上に、実際の感染者数は多いんじゃないかと思います。実際軽い症状の方などはカウントされていないそうですから。とにかく中国国内はいま大変な状況であります。

また医療従事者として行かれているたくさんの医師たちも、本当に命がけなんだと思います。最近一人の医師の方が亡くなったことがYouTubeでやっていましたけれども。私が驚いたのは、彼らの格好がですね、福島の作業員と同じ格好なんですね。あの、白い全身防護服です。それだけでも、現場の深刻さが、伝わってきます。

今度の3月にですね、2011年の311の時に、福島第一原発で、命がけで戦ってくれた当時の現場作業員たちの映画をやるんですね。”Fukushima 50”というタイトルだったと思います。私、予告編を観たんですけれども、本当にレスペクトです。そう考えると、何かこうオーバーラップするところがありますよね。私たちは、日本人として、大なり小なり、フクシマという未曾有の大災害を経験していますから、今回の中国のコロナウイルスによる大変さ具合が、よく分かると思います。あの時は、本当に大変だった。

今回の新型肺炎は、ちょうど中国が旧正月、春節の時期に、世界中に人々が旅行に行くタイミングで起こりましたから、中国国内だけではなくて、日本やニュージーランドも含めて、現在、各国ではその対応に追われています。

先日の横浜港に停泊している豪華客船ありますよね。あれ、私の両親が乗る予定のものだったんですよね。私今回日本に帰国して、帰る前の日に、お母さんが楽しみにそのことを話してくれたので、ニュースで見た時にびっくりしました。

「あ、あの船」だって。

すぐに連絡をすると、どうやら予定の1日前にエージェンシーの方から止められたらしいですね。すぐにキャンセルしたそうです。驚きましたね。あの船だけで現在100人以上の感染者が出ていますから、もし乗っていたら、どうなっていたら分からなかったと思います。身内のことではありますが、神さまが守ってくれているんだなと思いました。

また、感謝なことに、ニュージーランドにおいては、いまだ発症例が見つかっていないということで、God defenses New Zealandと歌っているように、神さまに守られているなあ、とすごく感じています。正直、こんなに移民を受け入れている国であるにも関わらず、発症例がいまだにないなんて、すごいことですよね。

しかし何も症例が無いにも関わらず、その水面化においては、国民の間で漠然とした不安が漂っているのは事実ですよね。普段、このオークランドという街は、多文化多民族の街として平和に機能していると思うんですけれども、それが今、コロナウイルスによって、ひとつのチャレンジを受けていると、私は思っています。

日常生活で言えば、驚いたことに、その影響から、ハンドサニタイザーがどこに行っても売り切れているんですね。この間、サニタイザーがないので、ハンドソープを箱買いしている中国人の方を見ました。彼らは事実、今回のことが他人事ではないので、それだけシビアに捉えているのだと思いますけれども、それもまた、見えないウイルスに対する不安の現れなのだと思います。

またその不安が、人に対するマイナス的な行動となって現れたのが、あのバスの運転手であったと私は思っています。

そういう経験をするたびにですね、嫌な思いをしましたし、そういうことをする人に対して複雑な感情も覚えました。

けれども結局、そういった思いが、私の霊性を縛り、不自由にしているという事実に気がついた時、「あ、これは違う」と思ったんですね。ここに留まることが、主が望んでいることではない。

では、私たちはキリストにある者として、一体どうあるべきなのか?この件に対してどう対処するべきなのか?今日はそういった内容をですね、聖書の中から共に見てゆきたいと思います。

まず2節から。

「ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは主にあって一致してください」

まず初めにこの箇所の背景から話しますと、これはピリピ教会の話なんですね。パウロという使徒が、ピリピという場所にある教会に向けて手紙を書いた。そこにユウオデヤとスントケという婦人がいました。この二人の間に対立と不一致の問題があった。この二人はクリスチャンで、かつて福音宣教のために、パウロと共に働いていた。しかしその二人の間に問題があったというわけです。

詩篇133篇1節に

「見よ。兄弟姉妹が一つになって共に住むことは、なんという幸せ、なんという楽しさであろう」という言葉がありますが、人が共に集まって、同じ目的のために一致を保ち、協力し合い、交わりを持つことは、何と楽しく幸せなことか。

そうですね。分かりますよね。

しかし人間の持つ自己中心性や、罪深さ、欲のために、国と国、民族と民族、家庭や教会においてさえ、時として、対立や不一致が起こることがある。

そして今回、模範的な教会であると言われていたピリピの教会においても、そういう問題があったわけです。

原因は一体何だったのか?一説によると、この二人の婦人が信仰者としては、まだ未熟であったがゆえに「キリストによる愛」を誤解していたことから起きた問題なのではないかと言われています。教会はキリストの愛が満ちている所です。牧師も信徒も基本的にはその愛を信仰によって、キリストと共に実践することを祈りとして、日々歩んでいるわけです。

しかしその愛が、自分の意のままに与えられないと、相手を非難する。そんな問題がこの二人の婦人の中にあった。確かにキリストにある者は、信仰によって、神を愛し、隣人を愛することに努めます。しかしだからといって、人は神さまではありませんから。いつの時代も、神さまではなく人を観ると、問題が起こります。この時もそうでした。

だから私たちは人ではなくて、神さまを見上げないといけないわけですね。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」というヘブル人の手紙の言葉の通り、いつの時代も、私たちは人ではなく、まずイエスさまに目を向けなければいけない。なぜならば、イエスさまの十字架のゆえに、私たちの罪が赦されて、本来死にゆく者であるにも関わらず、永遠の命が与えられたからです。ここに神の愛が示された。永遠に変わることのない愛が与えられた。それは人間の愛のように、相対的なものではなく、条件付きのものでもない、この世の全てが滅びても、最後まで残る愛なんですね。それが神さまが私たちに与えてくださっている愛なわけであります。

パウロはこの2節で、その二人の婦人に向けて、キリストの愛を知り、共にそれを受け入れた者同士として、キリストにあって一致してくださいと、お願いしているわけであります。

3節。

ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。

パウロは、同じ様にピリピの教会の兄弟姉妹にも働きかけるんですね。

「真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください」と。

パウロは宣教活動のゆえに、これまでにたくさんの迫害を受けてきました。その数々は、第2コリント11章に書かれてありますが、その一部を読むと、「むちで打たれたことが三回、石で打たれたことが一回、、、労し苦しみ、たびたび眠れぬ夜を過ごし、飢え乾き、食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」とあります。

そんな中で、共に戦った兄弟姉妹であるならば、もう同士なんですね。それゆえにパウロは、ピリピの教会の兄弟姉妹のことを「真の協力者」と呼んでいるわけです。

真の協力者。いい響きですよね。呼ばれてみたいですよね。それはですね、迫害の中でこそ、その真価を発揮するんですね。パウロはこの手紙をローマの獄中で書きました。自らが迫害の中にありながらも、ピリピの教会のメンバーを励ますために、この手紙を書いたんですね。でもそれは、現代に生きている私たちに対しても、語られている言葉なんです。

私たちが困っている時、助けを必要としている時、祈りを必要としている時、の相談に乗ってくれる人、助けてくれる人、時間を割いてくれる人、祈ってくれる人。それが本来、協力者というものですね。

中国で言えば、日々新たな感染者が増え続け、留まるところを知らない感染地である武漢の地に降り立った勇敢な医師たち。彼らは武漢にいる患者を救いに来た協力者ですね。

また今回武漢から帰国した「感染しているかもしれない」500人以上の日本人を心よく迎えた千葉のホテルがありましたが、2週間経って、何の問題もなかったので、宿泊者たちが帰途に着くことになりました。大型バスが迎えに来てホテルを去る時に、「また来てね」と涙を流して送り出した従業員たちの姿もまた、

協力者の姿だと思います。

また、自分自身の安全確保だけじゃなくて、そういった過酷な状況の中で働いている方々のために、祈りの手を合わすこと、また被害者の方々のために祈りの手を合わすこと、それもまた協力者の姿であると思います。

また、今この社会の中に漂っている漠然とした不安感や、それによって起こる心ない言動に、決して流されることなく、キリストにあって生きることもまた、ひとつの協力者の姿であると私は思います。

なぜならば、そういった協力者は、人を傷つけたり、差別したり、おとしめたりしないんですね。逆に、コミュニティの中に、主にある平和を作る者となってゆくからです。

パウロはこの後、4節から9節にかけて、その真の協力者の姿を描いています。

ここに大事なキーワードがあります。現代に生きる私たちが「真の協力者」であるために、一体どうしたら良いのか。見てゆきましょう。

まず4節

いつも主にあって喜びなさい。 

この手紙にはですね「喜ぶ」という言葉が、16回も用いられているんですね。

内容的にも、喜びが溢れている。そこでこの手紙は、別名「喜びの書間」と呼ばれているんですね。では、その喜びとは一体どこから来るのか?

新しいジャケットを買った。ブーツを買った。給与が上がった。この間見つけた隠れ家的な洋食屋の料理が美味しかった。そこには喜びがありますよね。うれしいことですから。でもここで言っているのは、そういう喜びじゃない。

また、私ですね、お笑いが好き、でよくYouTubeとかで観るんですけど、とても楽しいんですね。最近だと、ハナコとか、チョコレートプラネットとか、かまいたちとかですね、まあ分からない方は申し訳ないんですけれども、観ていてとっても楽しいですよね。気分転換になる。でもここで言っているのは、そういうことでもない。

「主にあって喜びなさい」って書いてあるんですね。

しかも「いつも喜びなさい」と書いてある。それは私たちの日常生活における、自然で継続的な喜びのことを指しています。雨が降っても、嵐が来ても、自然で継続的な喜びを持続するためには、一体何が必要なのか。それは「私たちが現在進行形で神さまとの関係の中に生きていること」なんですね。それが、私たちの自然で継続的な喜びになってゆく。一時的な喜びじゃない。それは「永遠」へと繋がっている喜びなんですね。

そして5節

主は近いのです。とあります。

私たちがどう思おうと、間違いないなく、今の時代は終末時代なんですね。イエスさまが来る時が近い。いまこの瞬間にイエスさまが来てもおかしくない状態なわけですね。ルカ21章に、終わりの時にはその前兆として、何が起こるのかが書いてあります。

民族同士の紛争や世界戦争、大地震や疫病、飢饉など。もうすでにですね、世界各地で起こっていることなんですね。今回の新型肺炎も、その疫病の一つであるわけです。

またルカ21章の34節で、イエスさま、こうも言っていますね。

「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」と。

ドキッとしますよね。

この世の煩いのために沈み込んでいるところに、と書いてある。

だから6節から7節(意訳)

何も思い煩わないで、祈りと願いによって、あなたがたの事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。と、

アーメンですよね。

でも実際、私たちは時に不安にもなることもあるし、思い煩うこともある。

だから8節に、

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。とあります。

つまり日常生活において、良いことや正しいこと、また美しいことを、知ること、観ること、経験すること、そして心に留めることをパウロは語っています。

なぜなら、この地上はいま、汚いこと、悪いこと、悲しいこと、怒りで満ちています。しかしその中にあってもなお、良いこと、正しいこと、美しいことに心を留めるならば、聖霊が働きやすい土壌が私たちの心に形成されてゆくからです。

そして聖霊ご自身が、私たちの心にある不安や思い煩いを越えて、新しい一歩を踏み出すために力を与えてくださる。

だからパウロは私たちに、こんな終末時代だからこそ、私たちは一体何を心に留めるべきか、を語っています。

もちろんこの8節は、究極的にはイエスさまのことを知り、イエスさまのことを経験することを指していると思いますが、「それが大事なんだ」と、パウロは言っているわけです。

先日、日本に帰った時に、上野の森美術館に行きました。それまで美術展などにあまり行ったことがなかったので、ゴッホのような有名な作家のことについても、あまり良く知りませんでした。しかし今回、私はゴッホ展に行って、彼の人生に触れる特別な経験をしました。

彼の父親は牧師で、彼はクリスチャンでした。画家になる前は、神学校にも通っていて、その後伝道者として、炭鉱で働く貧しい人たちのために、身銭を切って伝道をしていました。ボロボロの家に住んで、衣服もお金も食べ物も、全て貧しい人たちに分け与えながら、福音を述べ伝えていたそうです。そして時に、炭鉱で爆発事故があった時も、チフスのような伝染病が流行った時も、ゴッホは第一線で人々を助け、その対応にあたりました。実際、多くの人が彼を通してキリストと出会いました。しかしその後、彼は巡りめぐって画家になった。10年という短い画家人生でしたが、彼は自分の表現に命をかけていました。

私は当初ゴッホ展に行った時、今からだと50分待ちですと、外で並んで待っていた時には、そこまで期待していませんでした。結局、写真で見ても同じだと思っていました。

しかし実物を観た時に、特にゴッホが晩年に描いたこの2枚の絵を見た時、

本当に感動しました。そして彼の人生に心を打たれました。なぜならそれは、私にとって

とても美しい経験だったらです。

最後に9節

あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。

ただ聞く者としてではなく、実行する者でありなさい、とパウロはここで言っています。信仰とはいつも行動が伴うものだからです。

私たちはキリストの「真の協力者」であるために、聖霊の通りの良い管として、私たちはこれらのことを ”Body of Christ” キリストの体として、共に実行する者でありたいと思います。

そしてコロナウイルスのような、世界レベルで拡散されるような今回の疫病に対しても、キリスト者として、真の協力者として、恐れることなく共に対応していきたいと、心より願います。主にあって、共に歩んでゆきましょう。


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